シャリ越道(読み)しやりごえみち

日本歴史地名大系 「シャリ越道」の解説

シャリ越道
しやりごえみち

釧路から舟便および陸路で斜里しやりへ至る道。シャリ山道ともいう。釧路―斜里間の道は、一八〇〇年頃のクスリ・シヤリ・シベツ間里程絵図(近藤重蔵蝦夷地関係史料)にすでに描かれている。〇二年(享和二年)に開削された(斜里町史)。「東行漫筆」に「ヒロウニ而大(塚)惣太(郎)も泊り合、クスリよりシヤリ越の道筋問合候書類一通認出ス」とあり、経路・距離・休泊地などを「クスリより船路四里程 休トウコタン四里程 泊ユウホウ四里程 休シヱヲヒラ四里程 泊シラウトロ四里程 休ケウニ四里余、是より陸路 泊シヘツチヤ四里 休タワ四里半 泊西別四里 休みホンケ子タイ四里余 泊シヤツルワツカヲイ五里 休シヤツルビラ四里余 泊カモイノミヒラ一里陸路通行トンダシベツより夷船ニ而三里船路 休ルベチヤヲシマエ四里半程船路 泊シヤリ 川陸共凡五十七里余、七泊」と紹介、「泊りも丸小屋ニ而至而六ケ敷人足はクスリよりシヘツ迄通し、ホンケ子タイよりシヤリ領内ニ成候ニ付シヤリより出迎継送候由」と記す(文化六年四月一九日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報