コンピエーニュ(読み)こんぴえーにゅ(英語表記)Compiègne

精選版 日本国語大辞典 「コンピエーニュ」の意味・読み・例文・類語

コンピエーニュ

(Compiègne) フランス北部の町。パリの北東方、オアーズ川沿い、広大な森とルイ一五世、ナポレオン一世などが滞在した古城とがある。一四三〇年ジャンヌ=ダルクが捕えられ、また第一次・第二次世界大戦停戦協定が結ばれた地として有名。コンピエーヌ。

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デジタル大辞泉 「コンピエーニュ」の意味・読み・例文・類語

コンピエーニュ(Compiègne)

パリ北方にある都市。森とコンピエーニュ宮殿所在地として有名。百年戦争中、ジャンヌ=ダルクが英国軍に捕らえられた所。また、第一次大戦休戦条約第二次大戦の対独停戦協定の締結の地。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コンピエーニュ」の意味・わかりやすい解説

コンピエーニュ
こんぴえーにゅ
Compiègne

フランス北部、オアーズ県の副県都。人口4万1254(1999)。パリの北北東82キロメートルにあり、オアーズ川両岸に広がる美しい森に囲まれた田園地帯で、パリ市民の優雅な別荘地となっている。タイヤ、マッチ、食品加工、化学製品など多種にわたる製造業が行われる。コンピエーニュ宮殿の所在地としてよく知られるが、町の起源は古代ローマ軍の前哨(ぜんしょう)地であり、のちにメロビング王朝の宮廷所在地となった。宮廷の完全な復原ルイ15世治下(1715~74)に始まり、建築家ジャック・ガブリエルAnge-Jacques Gabriel(1698―1782)が建物をかなり厳密な古典的スタイルに設計した。王と宮廷人が頻繁に狩りに訪れたが、フランス革命(1789~99)後は軍事教練学校、工芸学校として使われた。ナポレオン1世は宮廷を受け継ぎ、修復した。宮廷のもっとも興味をひくものは、上品な装飾を施した綴織(つづれおり)の壁掛けと家具、18世紀後半と19世紀の宮廷人言行録である。1430年にジャンヌ・ダルクが捕らえられた地。また、第一次世界大戦末期にフランス軍総司令部が置かれ、1918年の停戦はコンピエーニュの森の汽車の中で署名された。その記念として保存された同じ汽車の中で、1940年に第二次世界大戦中のドイツ・フランス停戦協定も結ばれた。

[大嶽幸彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンピエーニュ」の意味・わかりやすい解説

コンピエーニュ
Compiègne

フランス北部,オアーズ県の都市。パリの北北東約 80km,オアーズ川左岸に位置する。パリ-ブリュッセルを結ぶ幹線鉄道の沿線にあり,地方商業,観光の中心地。工業は機械,化学,食品など。美しい森林を控えた王宮の町として有名で,6世紀メロビング朝時代すでに王家の離宮があった。現宮殿 (国立博物館) はシャルル5世時代の建築を基礎とし,ルイ 15世が改修 (1742~86) したもので,18~19世紀に王家の結婚式にたびたび利用され「結婚式の城」とも呼ばれる。近世ではナポレオン1世も使用し,ナポレオン3世がヨーロッパ中の王族を招待して,秋の狩猟を催したことも有名。 1430年,ジャンヌ・ダルクはこの町でブルゴーニュ公に捕えられた。第1次世界大戦の休戦条約はコンピエーニュの森の「休戦広場」で署名され,第2次世界大戦中ドイツ軍はこの屈辱に対する報復として同じ場所でフランスに対し休戦条約 (1940) に署名させた。聖ジャック聖堂 (13~15世紀) ,市庁舎 (16世紀) などがある。人口4万 4703 (1990) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「コンピエーニュ」の意味・わかりやすい解説

コンピエーニュ
Compiègne

フランス北部,オアーズ県の町。人口4万3411(1982)。パリの北北東70km,オアーズ川の渡河点に位置し,近道を意味するラテン語compendiumに由来する。同名の森の北縁にあり,6世紀以来,歴代フランス王の狩猟地であり,教会,修道院,ルイ15世,ナポレオン3世の愛用した王宮など,歴史的建築物が残る。ジャンヌ・ダルクはこの地の戦闘で捕らえられた。1918年11月11日第1次大戦の休戦条約調印,40年6月22日第2次大戦中のフランス降伏調印の地である。
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百科事典マイペディア 「コンピエーニュ」の意味・わかりやすい解説

コンピエーニュ

フランス北部,オアーズ県の都市。オアーズ川河岸にあり,ガラス製造,化学工業が行われる。ルイ15世時代の城館(現在は博物館)があり,公園と森が多い。1430年ジャンヌ・ダルクの捕縛,1918年連合国とドイツ,1940年フランスとドイツの休戦条約締結など,多くの歴史的事件の舞台となった。4万1889人(1990)。

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旺文社世界史事典 三訂版 「コンピエーニュ」の解説

コンピエーニュ
Compiègne

フランス北部,パリの北東72㎞にある町
1918年,第一次世界大戦におけるドイツと連合国との休戦条約が結ばれた。第二次世界大戦勃発後の1940年6月にも,フランスとナチス−ドイツとの休戦条約が調印された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「コンピエーニュ」の解説

コンピエーニュ
Compiègne

北フランスの小都市。ここで第一次世界大戦の休戦が調印された。そのとき使われた一客車は保存されていたが,1940年6月フランスの敗戦後,この客車のなかで独仏間に前回と攻守逆の休戦が成立した。

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