日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
コンスタンティノス(11世)
こんすたんてぃのす
Konstantinos Ⅺ Palaeologos (Dragases)
(1404―1453)
ビザンティン帝国最後の皇帝(在位1449~53)。パレオロゴス朝のマヌエル2世の四男。1441~49年まで帝国のモレア領の君主。兄ヨハネス8世の病没後即位。帝国領はこのときモレア領のほかは首都コンスタンティノープルおよびその周辺のみで、他はすべてオスマン帝国の支配下にあった。フェッラーラ、フィレンツェの公会議(1438、39)で合意された教会統一宣言の実施のため、ローマ教皇使節が首都に到着した(1452)が、反対運動が激しく実効はあがらず、西欧の軍事援助も得られなかった。防衛軍の10倍の兵力をもって開始されたオスマン帝国のスルタン、メフメット2世の総攻撃に首都は陥落(1453)し、彼も白兵戦に倒れた。
[和田 廣]