コラン(読み)こらん(英語表記)Louis-Joseph-Raphaël Collin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コラン」の意味・わかりやすい解説

コラン
こらん
Louis-Joseph-Raphaël Collin
(1850―1917)

フランスの画家パリに生まれ、同地の美術学校でウィリアム・ブーグローやカバネルに学ぶ。1873年以来サロンに出品し、98年にはその審査員となる。アカデミー・コラロッシで教え、また1902年母校の美術学校の教授となる。当時のアカデミックなリアリズムに印象派的な明るい色彩を加えた優雅で折衷的な画風であり、『ダフニスとクロエ』『牧歌』などが代表作。黒田清輝(せいき)、久米桂一郎(くめけいいちろう)、和田英作岡田三郎助山下新太郎らはいずれも彼に学んでおり、明治後半の洋画に与えた影響はきわめて大きい。

[篠塚二三男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「コラン」の意味・わかりやすい解説

コラン

フランスの画家。パリに生まれ,同地の美術学校でカバネルに学び,1902年同校教授。アカデミックな作風に印象主義を取り入れた折衷的で穏健な画面を構成。門下黒田清輝久米桂一郎岡田三郎助和田英作など,多くの日本人画家がいる。代表作はパリ市庁舎のための装飾や《花月》(1886年,アラス美術館蔵)など。
→関連項目外光派中村不折山下新太郎

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コラン」の意味・わかりやすい解説

コラン
Collin, Raphaël

[生]1850.6.17. パリ
[]1916.10.12. ブリオンヌ
フランスの画家。美術学校で A.カバネルに師事。 1873年サロンに『眠り』を出品,2等賞を得る。外光主義的な描写を取入れた甘美でアカデミックな画風が特色黒田清輝,岡田三郎助などを通じて明治後期の日本の洋画界にも影響を及ぼした。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

精選版 日本国語大辞典 「コラン」の意味・読み・例文・類語

コラン

(Raphaël Collin ラファエル━) フランスの画家。一九世紀末フランスに留学した黒田清輝をはじめ多くの日本の画家が彼に学び、外光派の画風が日本に広まった。(一八五〇‐一九一六

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

世界大百科事典 第2版 「コラン」の意味・わかりやすい解説

コラン【Raphaël Collin】

1850‐1916
フランスの画家。パリに生まれ,少年時代をロレーヌ地方ベルダンで過ごす。1869年パリに帰り,画家を志してブーグロー,ついでカバネルのアトリエに入り学ぶ。73年のサロン(官展)に《眠り》を出品して入選画壇にデビューし,以後裸婦像,肖像の画家として知られた。84年サロン出品の《夏》は印象派的な外光描写をとりいれて好評を得,86年出品の《花月(フロレアル)》はリュクサンブール美術館に購入された。89年パリ万国博では大賞を受賞,ソルボンヌ壁画《晩夏》,オデオン座の天井画(1891完成)を依頼された。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内のコランの言及

【明治・大正時代美術】より

…またミュンヘンに留学してドイツ歴史画派のガブリエル・マックスに師事した原田直次郎は,確かな表現力によって次代を担うホープとして期待されたが,92年脊髄病に倒れて再び立たず(1899年37歳で夭折),彼に代わるように,93年黒田清輝がフランスから帰国する。 ブーグロー,カバネルのアカデミストにつき,バスティアン・ルパージュの外光描写をとり入れた折衷様式の画家R.コランが黒田の師であった。黒田は帰国後,久米桂一郎(1866‐1934)と天真道場を設立し,外光派の明るい写実主義の画風と,フランス・アカデミズムの基礎技術を伝え,96年にはようやく東京美術学校に増設された西洋画科の主任教授となる(助教授は岡田三郎助,藤島武二)。…

※「コラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

旅券返納命令

外務大臣や領事官が旅券(パスポート)を返納させる必要があると認めたとき、旅券の名義人に対し、期限を設けて旅券の返納を命ずることができる規則。申請時に虚偽の記載があったときや旅券の記載事項の訂正をした場...

旅券返納命令の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android