グスマン・ブランコ(読み)ぐすまんぶらんこ(英語表記)Antonio Guzmán Blanco

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グスマン・ブランコ」の意味・わかりやすい解説

グスマン・ブランコ
ぐすまんぶらんこ
Antonio Guzmán Blanco
(1829―1899)

ベネズエラ政治家。同国自由党の創設者レオカディオ・グスマンを父にもち、思想的影響を受けた。モナガス大統領時代に駐米領事となったが、同政権失脚に伴い父とともに国外に亡命し、ファルコン将軍の率いる連邦主義運動に身を投じた。1863年、ファルコン政権樹立により副大統領として対英借款を締結させ、鉄道を敷くなど外資提携を促進させた。70年より新政党を結成し、73年から88年まで3期15年間にわたり大統領を務め、国内経済の安定に寄与した。カトリック教会の政治的影響力を引き下げ、国家の近代化に着手するなど進歩的な政策をとる反面権力欲の強い専制政治家であった。晩年は政治に疲れパリで没した。

[寿里順平]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「グスマン・ブランコ」の解説

グスマン・ブランコ
Antonio Guzmán Blanco

1829~99

ベネズエラの大統領(在任1870~77,79~84,86~88)。モナガス父子の専制支配に対する反対運動を指揮して1870年カラカスに進軍し,政権を奪取した。自由主義派の立場から教会財産の没収公教育確立などの反教会政策,外資導入による鉄道・道路建設,自由貿易推進を図った。長期独裁政権を維持したが,88年パリ外遊中にクーデタで失脚した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グスマン・ブランコ」の意味・わかりやすい解説

グスマン・ブランコ
Guzman Blanco, Antonio

[生]1829.2.29. カラカス
[没]1899.7.20. パリ
ベネズエラの軍人,政治家。大統領 (在任 1870~88) 。 1870年クーデターにより政権を掌握し,以後 88年まで大統領をつとめる。独裁政治を行なったが,経済開発,貿易の振興,教育の普及にすぐれた業績を残した。 88年渡欧中にクーデターが起り失脚。パリで没した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報