クイット・インディア運動(読み)クイット・インディアうんどう(英語表記)Quit India Movement

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

クイット・インディア運動
クイット・インディアうんどう
Quit India Movement

インドがイギリスに対し「インドを立ち去れ」と要求した反英大衆運動。マハトマ・ガンジーの指導のもとに行なわれた。第2次世界大戦中の 1942年8月8日ボンベイで開かれたインド国民会議派全国委員会は,イギリスの即時撤退を要求して,クイット・インディア (インド撤退要求) 決議採択,要求が受け入れられない場合,非暴力の大衆闘争を開始することを宣言した。会議派首脳は,インドに独立が認められ臨時政府が樹立されれば,インド人はナチズムファシズム侵略に対抗して,連合国の戦争目的に貢献できると考えていた。しかし8月9日早朝,ガンジー,ジャワハルラル・ネルー,マウラナ・アーザードら会議派指導者はイギリス当局により逮捕され,会議派は非合法化された。指導者の逮捕に怒った民衆は一斉休業に踏み切り,デモや蜂起が各地で発生するなど反英運動が拡大。イギリスは軍隊や警察を動員して弾圧に乗り出し,1942年末までに6万人以上を逮捕,インド防衛法に基づき1万 8000人を投獄した。各地での騒乱は激しかったとはいえ,「指導者なき反乱」といわれたとおり,この間会議派の組織的な活動はほとんど不可能な状態に陥った。ソビエト連邦の第2次世界大戦参戦を機に会議派は合法化され,イギリスの戦争努力に協力したインド共産党や,対英協力でその力を伸ばそうとしたインド・ムスリム連盟は,この運動を反ファシスト戦線を乱すものとして非難。特にムスリム連盟は,ムハンマド・アリー・ジンナー総裁の活躍で会議派が非合法化されている間に勢力を伸ばし,パキスタン独立の基盤をつくり上げた。 (→インド独立運動 )

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