キンディー(読み)きんでぃー(英語表記)al-Kindī

デジタル大辞泉 「キンディー」の意味・読み・例文・類語

キンディー(al-Kindī)

[800ころ~870ころ]イスラム哲学者。アラブ人ギリシャ哲学を移入し、数学天文学・医学など諸学にも広く通じた。著「知性論」は、のちのイスラム哲学の出発点となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「キンディー」の意味・わかりやすい解説

キンディー
きんでぃー
al-Kindī
(796ころ―866)

アラブ系の哲学者バスラ(あるいはクーファ)に生まれる。南アラビアのキンダ人の出身のためにキンディーとよばれ、イスラム哲学史上数少ない純粋のアラブ人であるため「アラブの哲学者」と敬称される。アッバース朝カリフ、アル・マームーンとアル・ムータシムal-Mu'tasim(在位833~842)の庇護(ひご)を得て、ヘレニズム思想文献のアラビア語翻訳に大きな貢献をした。思想家としては新プラトン主義アリストテレス哲学の折衷的世界観を有し、のちのイスラム逍遙(しょうよう)派哲学の鼻祖となった。他方、宗教と哲学の調和のために努力した。博学でその著作分野は多岐にわたり、そのいくつかは中世ヨーロッパでラテン語訳された。

[松本耿郎 2016年10月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「キンディー」の意味・わかりやすい解説

キンディー
al-Kindī
生没年:801ころ-866ころ

ラテン名アルキンドゥスAlkindus。イスラム世界最初の哲学者であり,百科全書的に諸学に通じたイスラム知識人(ハキーム)の典型。またペルシア人やユダヤ人の学者の多い中で,数少ないアラブの大学者であり,それゆえ〈アラブの哲学者〉と呼ばれる。クーファに生まれ,父は同地の総督であった。バスラとバグダードで学び,アッバース朝のカリフ,マームーンとムータシムのもとで新来のギリシア哲学を咀嚼し,それをムータジラ派の合理主義神学と一致させようと努力し,ムタワッキルのとき正統主義神学の反動にあって迫害された。彼はアリストテレス哲学を新プラトン主義の立場で吸収消化し,イスラム世界におけるペリパトス学派の祖となるとともに,有名な《知性論》は,文字どおりその後のイスラム哲学の出発点をつくり上げた。数学,天文学,占星術,自然学,医学,薬学,音楽などについて約260の論文を書いたといわれるが,現存するものは少ない。後世への影響が大きいものは,ラテン語訳された《光学》と独特な数学的処方学の書《医薬合成階梯》である。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キンディー」の意味・わかりやすい解説

キンディー
al-Kindī,Ya`qūb ibn Isḥāq

[生]? 
[没]870頃
9世紀前半に活躍した東方イスラム世界最初のアラブ系哲学者。ギリシア学芸の輸入が奨励された時代に活躍し,アッバース朝の宮廷に仕えて哲学者として名声を得た。数学をすべての学問の基礎と考え,天文学,医学,音楽論,光学,政治学,弁論術などから哲学に及ぶ広範囲にわたる著作二百数十点を著わした。哲学では新プラトン派のギリシア哲学を導入したことで知られ,彼が純粋なアラブであったことから「アラビア人の哲学者」と呼ばれた。また数学,医学,音楽論などに独創的見解を示し,その膨大な著述のいくつかはラテン語に翻訳された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「キンディー」の解説

キンディー
al-Kindī

801ごろ〜866ごろ
9世紀に活躍したアッバース朝時代の学者
ラテン名はアルキンドゥス。天文学・占星術・気象学・光学・医学・心理学・政治学・幾何学・音楽などの著書265種があったといわれるが,大部分は不明。ペルシア人学者の多い中で数少ないアラブの哲学者であった。哲学ではプラトンとアリストテレスの見解を融合する新プラトン主義であった。

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百科事典マイペディア 「キンディー」の意味・わかりやすい解説

キンディー

アラブの哲学者,科学者。ラテン名アルキンドゥスAlkindus。アラブの最初の哲学者といわれ,新プラトン主義の立場からアリストテレスを研究。数学,占星術,物理学,気象,音楽,医学等の著書があり,光学の研究が重要。

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世界大百科事典(旧版)内のキンディーの言及

【アラブ音楽】より

…また,スーフィーは,ジクルと呼ばれる音楽的な儀式を行う。(2)古典的芸術音楽にみられる理論体系と実践 イスラムの征服が東西にのびるとともに各地の音楽を吸収し,ギリシア音楽理論を受け継いだ音楽文化は,アッバース朝になると黄金期を迎え,マウシリー父子,キンディーらのすぐれた音楽家,音楽理論家を輩出した。のち,イスラム文化は沈滞期に入り,その音楽の中心地はトルコへ移った。…

【イスラム】より

… 9世紀のバイト・アルヒクマの建設後,アリストテレスの哲学書は相次いでアラビア語に翻訳された。もとムータジラ派に属したキンディーは,アリストテレス哲学の基礎的概念をより正確に理解しようとして,ムスリム最初の哲学者となった。イスラム哲学の出発点には,新プラトン主義思想によって解釈されたアリストテレス哲学があり,その終点には,イブン・ルシュドを集大成者とする膨大なアリストテレス哲学の注釈書があった。…

【イスラム哲学】より

…このようなかたちでアラビア語に紹介されたアリストテレスの研究が,イスラム世界での哲学研究の主流になった。 初期イスラム哲学界において顕著な活躍をした人はキンディーである。彼はアッバース朝の保護下にギリシア哲学の翻訳研究を指導した。…

【エジプト】より

…これに伴ってイスラム史におけるエジプトの独自な地位を評価しようとする動きが強まり,ファラオの時代をも視野に入れたエジプト年代記が執筆されるようになった。また,キンディーKindī(897‐961)に始まるエジプトの美点(ファダーイル)と地誌(ヒタト)の記述は,マクリージーにより〈エジプト誌〉として集大成された。エジプトに古くから伝わるグノーシス思想はズー・アンヌーンによってイスラム神秘主義の体系化に援用されたが,この時代になるとイスラム神秘主義はさらに土着的な展開を遂げ,タンターのアフマディー教団は聖者アフマド・アルバダウィーの生誕祭をコプト暦によって祝ったという。…

※「キンディー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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