カストロ政権(読み)かすとろせいけん

知恵蔵 「カストロ政権」の解説

カストロ政権

キューバ革命政権を握ったフィデル・カストロ国家評議会議長は1976年に元首となり、党、政府、軍の全権を掌握した。ソ連からの豊富な援助をまず医療、教育に充て、そのすべてを無料とする画期的な福祉社会をつくり上げた。しかし、ソ連型の社会主義で経済は行き詰まり、官僚主義もはびこり、ソ連の崩壊で援助が途絶えると深刻な経済危機に陥った。91年には外資の積極的導入や直接選挙制採用など、政治・経済改革に踏み切った。経済がどん底まで落ちた93年、ドル所有の合法化、個人営業の制限緩和、農産物の自由市場の再開など、自由化政策を打ち出した。94年には公共料金を値上げした直後、亡命を求める市民と警官が衝突し、いかだで米国を目指す難民は3万人を数えた。しかし、95年に経済はプラス成長に転じた。個人営業のレストランなどが出現し、活気が出る一方、富める者と貧しい者との差が出てきた。経済危機が深刻化するなか、革命の求めた平等な社会の原則をいかに守るかが問われた。カストロ議長は2001年6月、首都ハバナ郊外での集会の演説中に一時的に気を失うなど、高齢による体力の低下が目立つ。これに伴って後継問題が注目されたが、すでに実弟ラウル・カストロ国家評議会第一副議長兼国防相が1986年の共産党第3回党大会で後継指名されている。03年4月には反体制派市民75人を一斉摘発し、即決裁判にかけて投獄したほかフェリーを乗っ取った3人を処刑するなど強権弾圧を行った。このため人権を重視する欧州連合(EU)との関係悪化を招いた。06年7月にはカストロが入院し、権力は一時的に弟のラウルに移った。

(伊藤千尋 朝日新聞記者 / 2008年)

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