オーストリア‐ハンガリー帝国(英語表記)Österreichisch-ungarische Monarchie

山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

オーストリア‐ハンガリー帝国(オーストリア‐ハンガリーていこく)
Österreichisch-ungarische Monarchie

1867年のアウスグライヒで成立したオーストリアハンガリーの国制。ハプスブルク帝国とも呼ばれる。オーストリア帝国とハンガリー王国が共通の君主と共通の外務陸軍財政の3省によって結びついた「二重君主国」で,共通業務以外の内政はそれぞれ独自の内閣と議会によって行われた。もともとオーストリア帝国は大略11の民族からなる多民族国家であったが,第1の支配勢力であるドイツ人と第2のハンガリー人(マジャル人)が支配圏を分けあって,それぞれ他民族を支配する体制をつくったといえる。したがって両国ともに領内に複雑な民族問題をかかえており,これが国制の民主化,議会主義化の問題や,工業化の進展に伴う社会主義運動の展開ともからみあって,政治を容易に安定させなかった。外交的にはバルカン半島への進出を図ってセルビア,ロシアとの対立を招き,これが第一次世界大戦の導火線となった。1918年,敗戦により諸民族が分裂,君主制も倒れていくつかの民族共和国が成立した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報