イギリス領北アメリカ法(読み)いぎりすりょうきたあめりかほう

山川 世界史小辞典 改訂新版 「イギリス領北アメリカ法」の解説

イギリス領北アメリカ法(イギリスりょうきたアメリカほう)
British North America Act

1867年憲法(Constitution Act 1867)ともいう。1867年にイギリス議会で採択され,イギリス帝国内の連邦制植民地たるカナダ自治領(ドミニオン・オヴ・カナダ)の骨格を定めた法律。147条からなり,大西洋から太平洋に至る大陸横断国家カナダの版図や,オタワの連邦政府と各州政府との間の統治関係などを定める。アメリカ合衆国憲法とは対照的に,州権より連邦政府により強い権限を認めており,南北戦争後に膨張主義を強めたアメリカへの対抗と帝国防衛が特徴となっている。この憲法が宗主国イギリスの議会法であり続けたことは,カナダの植民地性の象徴だったが,1982年にはカナダ議会に移管されて,1867年憲法と改称された。同時に「権利と自由の章典」を付け加えた1982年憲法が制定された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のイギリス領北アメリカ法の言及

【カナダ】より

…憲法法とはカナダの憲法ないし立憲体制を構成する制定法を意味する。前者は,かつてイギリス法の〈イギリス領北アメリカ法〉と呼ばれたもので,カナダの統治機構を定めたものである。同法はイギリス法であるためにその改正権限がイギリス議会にあり,連邦結成以来115年間における23回の改正には,カナダ議会からのイギリス議会への改正要請という手続きを必要とした。…

【コンフェデレーション】より

…カナダ史において,1867年7月1日の〈カナダ自治領〉の形成に結実する一連の運動の総称。狭義には1864年9月のシャーロットタウン会議にその開始を求めることができるが,広義には1841年のアッパーおよびロワー両カナダ植民地の統合にその萌芽を認めることもできよう。あるいは英領北アメリカ植民地の統合という観念は,アメリカ合衆国の誕生をみたアメリカ革命の所産ともいえる。こうした古くからの課題が実現する対外的要因としては,自由主義を謳歌するイギリスの植民地離れと,南北戦争後のアメリカの膨張主義,保護主義の強化があげられる。…

※「イギリス領北アメリカ法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」