エンリケ(2世)(読み)えんりけ(英語表記)Enrique Ⅱ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「エンリケ(2世)」の意味・わかりやすい解説

エンリケ(2世)
えんりけ
Enrique Ⅱ
(1333―1379)

カスティーリャおよびレオン王(在位1369~79)。カスティーリャ王アルフォンソ11世の庶子。即位するにあたって協力した貴族・聖職者に多くの領地を与えたため「恩寵(おんちょう)王」、また出自から「庶子王」とよばれる。1351年父王没後、異母弟で正式な嫡男である「残酷王」、あるいは「正義王」とよばれたペドロ1世Pedro Ⅰ(1334―69)が即位すると、王位奪取を恐れた弟王とその生母によってエンリケの生母は殺され、自身も命をねらわれる。そのため翌年から兄弟間の王位継承争奪となり、エンリケはフランスなどを味方に、一方弟王はイギリス王エドワード3世の長子黒太子」(1330―76)の支援傘下で、内乱は長期化した。エンリケは最終局面において1366年に王を名のり、国内貴族・聖職者の絶大な援軍の下、1369年には弟軍勢を破り、弟を処刑後正式に王位につく。エンリケはトラスタマラ伯(養子)であったことから、以後トラスタマラ朝開祖となる。これに対し、ポルトガル王フェルナンドFernando(1345―83)は、カスティーリャ王サンチョ4世の正統な孫としてカスティーリャ王位継承権を主張し、アラゴングラナダのイスラム教国と同盟を結び、ガリシアに侵入した。一方、エンリケは、ブラガ征服、ギマランイスGuimarãesを包囲する。1371年教皇グレゴリウス11世の仲裁で両王は和平を結んだ。ポルトガル王は、カスティーリャ王位継承権を放棄したものの、新しく王位継承権を主張するランカスター公ジョン・オブ・ゴーント(黒太子の弟、故ペドロ1世の庶子コンスタンサの夫)を支持した。エンリケは内乱勝利に恩義あるフランスと同盟し、1372年イギリス海軍に大勝した後、1373年2月リスボン入りを果たす。この両戦とも英仏百年戦争の一環をなし、いずれもポルトガルの敗戦に終わっている。

[林田雅至]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例