日本大百科全書(ニッポニカ) 「大西洋」の意味・わかりやすい解説
大西洋
たいせいよう
Atlantic Ocean
東はヨーロッパ大陸とアフリカ大陸、西は南北アメリカ大陸に接し、南極から北極に至る海洋。太平洋、インド洋とともに三大洋とよばれ、広さは太平洋に次ぐ。古代ギリシアでは、大西洋南部をアフリカ大陸の北西端に立つ巨神アトラスが支配すると考えてアトランティコスAtlanticosとよんだ。日本語の「大西洋」は、古代ローマでの大西洋全体の呼び名Oceanus occidentalis「西の大洋」の日本語訳である。
[半澤正男・高野健三]
区域
南アメリカのホーン岬からサウス・シェトランド諸島、さらに南極半島に至る線で太平洋と、南アフリカのアガラス岬(アグリアス岬)から東経20度沿いに南下して南極大陸に至る線でインド洋とくぎられる。面積8244万1000平方キロメートル、体積3億2361万立方キロメートル、平均深度3926メートルである。付属海にアメリカ地中海、ヨーロッパ地中海、北極海、縁海に北海、セント・ローレンス湾などがある。大西洋の一部をバハマ海、サルガッソー海などとよぶことがあるが、これらの海の境界ははっきりしていない。
[半澤正男・高野健三]
自然
海底地形
海底大地形でもっとも特徴があるのは、大西洋のほぼ中央部を南北にS字状に連なる長大な大西洋中央海嶺(かいれい)の存在である。北極海から南緯55度に至るこの海底の大山脈は、大部分の深度が3000メートルより浅く、赤道付近で深さ7728メートルのロマンシュ断裂帯によって両断され、深さ4500メートル内外の鞍部(あんぶ)が形成されている。この中央海嶺上には、アイスランド、アセンション島、トリスタン・ダ・クーニャ島、ブーベ島などがある。
大西洋中央海嶺を横断してほぼ平行に東西に走る多くの断裂帯がある。アトランティス、オーシャノグラファーなど、発見した観測船の名をつけられたものが多い。海盆中には巨大な孤立した海山があり、グレート・メテオール、アルテアなどが有名である。海溝は北大西洋のプエルト・リコ海溝(8605メートル)、南大西洋のサウス・サンドイッチ海溝(8325メートル)などが顕著である。
大西洋中央海嶺はまた、プレートテクトニクスの面からも主要な境界となっている。海嶺東側の北半分はユーラシアプレート、南半分はアフリカプレート、西側の北はアメリカプレート、南は南極プレートとよばれ、海洋底拡大説によれば東側は東方へ、西側は西方へと海底が移動している。
[半澤正男・高野健三]
気象
北大西洋では中緯度高気圧とその北方の低圧部が、南大西洋では中緯度高気圧と南極大陸を取り巻く低圧部が、さらにその南の偏西風帯と、低緯度地帯の貿易風が特徴である。北大西洋の中緯度高気圧をアゾレス高気圧、その北の低圧部をアイスランド低圧部(低気圧)という。南半球では南緯20~30度にアゾレス高気圧に対応する高圧部が存在する。アイスランド低圧部に相当するものは南大西洋にはなく、南極大陸を囲む低圧帯が存在する。この高圧部と低圧帯との間には恒常的に強い偏西風が吹き、「ほえる40度roaring forties」とよばれる南緯35~45度においてもっとも強い。低緯度の北東・南東両貿易風の間には赤道無風帯とよばれる静かな海域があり、通常北緯2~10度に位置する。
アイスランド低気圧は冬季によく発達する。中緯度に発生・発達した低気圧は、北太平洋と同じく西から東へ進む。北半球の夏季、カリブ海には太平洋の台風に相当するハリケーンが発生し、アメリカなどに大きな被害をもたらすことがある。北大西洋北部、ニューファンドランド沖のグランド・バンクスでは、春から初夏にかけて温かい空気が冷たい海上に運ばれるため、濃い海霧がしばしば発生し、世界有数の海霧卓越海域となっている。
[半澤正男・高野健三]
表面海流
北大西洋ではアイスランド低圧部に対応する反時計回りの循環、アゾレス高気圧に対応する大きな時計回りの循環がある。循環の向きが逆になる南半球では、中緯度高気圧に対応して大きな反時計回りの循環がある。南大西洋の高緯度地方では、陸地や島などの障害がないので、偏西風に対応する西風海流が、南大西洋を東に流れ、南極海を一周している。
(1)北大西洋 北赤道海流の大部分はアメリカ地中海に入りカリブ海流となる。その海を出てフロリダ海流となり、アンティル海流と合流して、強大なガルフストリーム(湾流、メキシコ湾流)を形成する。ガルフストリームはグランド・バンクスの南で北大西洋海流につらなる。フロリダ海流、アンティル海流、ガルフストリームをガルフストリーム・システム(湾流系)と総称する。北大西洋海流は大西洋中央海嶺を越えて北東に進むが、水温が比較的高く高塩分であり、北西ヨーロッパの海洋性気候を形成する。
北大西洋海流の分枝の一つイルミンガー海流はアイスランド沖で東グリーンランド海流とあわさって、グリーンランドの西海岸沖を西グリーンランド海流となって北上する。北大西洋海流の一つの分枝はアイスランド―フェロー海嶺を越え、ノルウェー沖をノルウェー海流となって北東に流れる。これはバレンツ海に入ってノース・ケープ海流となり、さらに一部は北極海に入って西スピッツベルゲン海流となる。比較的温かく塩分の高いこの海流は、低塩分の表面水の下を潜流となってノボシビルスク諸島付近にまで達する。北大西洋海流のもう一つの分枝は向きを南に変えて、ヨーロッパ大陸、アフリカ大陸の西岸沖をポルトガル海流、カナリー海流となって流れ、最終的には北赤道海流となって西へ向かい北大西洋の時計回りの大循環を形成する。
北大西洋北部のカナダ北東沖には高緯度地方から寒冷なラブラドル海流が南下してグランド・バンクス沖でガルフストリーム系の暖水とぶつかり、海霧を発生させやすい。この海域は魚類の豊富な漁場となっている。またラブラドル海流が運んでくる氷山が、航海の障害になることもある。
(2)南大西洋 赤道を狭んで北大西洋の海流系と対称となる形の流れである。ガルフストリームに対応してそれほど強大ではないがブラジル海流があり、カナリー海流にはベンゲラ海流、ラブラドル海流にはフォークランド海流がそれぞれ対応する。西風海流は周南極海流といわれることが多い。南緯50度付近には顕著な南極収束帯がある。南・北赤道海流の間を東へ向かって流れる赤道反流は、アフリカの黄金海岸沖合いでとくに明瞭(めいりょう)になり、ギニア海流とよばれる。
[半澤正男・高野健三]
海況・海水・潮汐
表面の塩分は三大洋のなかでもっとも高く、南北両大西洋それぞれの中央部には、塩分が37psu以上の海域が広がっている。ヨーロッパ地中海の塩分もおおむね37psu以上である。海水の化学成分では深層水の溶存酸素量が高いのが特徴で、グリーンランド沖では表面から3000メートルまで、1リットル中6ミリリットルを含み、大西洋深層水の年齢が若い(この海水が海面から沈降し始めたときからの経過年月が短い。数百年程度の海水が多い)ことを示している。
北大西洋の氷山は大部分がラブラドル海流で運ばれて、通常グランド・バンクスの南まで達するが、バーミューダ南東まで流れていった記録もある。グランド・バンクス付近では3月から7月までの間によく現れる。北緯42度付近が頻繁にみられる南限、ときどきみられる南限は北緯38度ぐらいである。南大西洋の氷山は南極大陸の棚氷(たなごおり)が崩れて海上に流出したもので、卓状氷山といい、巨大なテーブル状になっているのが特徴である。
大西洋沿岸の潮差は約1メートルである。カナダ、メーン湾奥のファンディ湾の大潮(おおしお)潮差は12.9メートルで世界最大である。アルゼンチン、パタゴニア(南緯51度)のグランデ湾の9.74メートル、フランス北西部サン・マロの10.58メートルなどが大きな潮差の代表である。
[半澤正男・高野健三]
海洋資源
生物資源の活用、すなわち漁業は古くから行われている。主要漁場は北東部の北海、アイスランド周辺、スカンジナビア半島近海と、西部のニューファンドランド、ノバスコシア近海で、主要魚種はいずれもタラとニシンである。両漁場は、日本の三陸沖とともに世界の三大漁場となっている。ただし乱獲などの影響で、タラ、ニシンの北大西洋における漁獲は1970年代より漸減し、かわってオヒョウ類、ソコダラ類、イカナゴなどの産業用魚種の漁獲が増えている。中部・南大西洋の水産資源の活用は、北大西洋ほど盛んではないが、メンヘデン、メルルーサなどソコダラ類の漁業がおこりつつある。
石油・天然ガス資源の採取・採掘が盛んなのはメキシコ湾、ベネズエラのマラカイボ湖、北海などである。このほか北アメリカの大西洋岸沖(ニューファンドランド、ノバスコシア沖)、カナダ領北極圏の沖などでも開発が試みられたり、計画されたりしている。海洋底の鉱物資源は太平洋と同じく赤道を挟み、マンガン(団塊)、コバルト、ニッケル、銅などがあるが、事業化には至らない。海洋エネルギー資源の活用でもっとも注目されるのは、世界最初の潮汐発電所がフランスのランス河口にあり、年間54.4億ワット時の電力を供給していることである。
[半澤正男・高野健三]
世界史における大西洋
海は交通・交流に対する大きな障壁である。大西洋は、この障壁を低くするための新しい科学・技術が生まれ、発達した舞台である。障壁は低くなり、ヨーロッパ・アフリカ大陸とアメリカ大陸を含む新しい政治・経済・文化圏が生まれた。海洋学という新しい学問分野が生まれたのも大西洋である。これらの点で太平洋との違いは大きい。
古代から大航海時代の終りころまでの大航海は、ほぼすべて新しい交易路の開拓を目ざしていた。以下に代表的航海をあげる。
(1)ピュテアスPutheas(紀元前4世紀のギリシアの地理学者)の北方探検航海は、フェニキア人の独占貿易を阻むためマルセイユの商人たちの依頼で企画され、実行された。
(2)ディアスBartholomeu Diaz(1450ころ―1500)、ガマVasco da Gama(1469ころ―1524)のインド洋への航海は東方(インド、中国)への新航路の開拓が目的だった。アラビア人がヨーロッパから東方への陸路とペルシア湾、アラビア湾経由の海路を支配していたので、ポルトガルはアフリカ大陸を迂回(うかい)する新しい航路を開拓した。アラビア人の独占は崩れ、アラビア人勢力衰退の一因になった。
(3)コロンブスChristopher Columbus(1451―1506)の北大西洋南部の横断航海は、アラビア人の支配下にない新しい航路、西へ進んで中国・インドに到る航路の発見が目的だった。
(4)カボート父子(父はGiovanni Caboto,1450―98、子はSebastiano Caboto,1476―1557、英語読みはキャボットCabot)の北大西洋北部の横断航海も西へ進んで中国・インドに到ることが目的だった。
(3)と(4)はアメリカ大陸の存在にはばまれて、当初の目的を達成できなかった。(2)~(4)の航海とあとに続く多くの航海は、ヨーロッパ・アジア大陸間、およびヨーロッパ・アフリカ・アメリカ大陸間の戦争、植民、移民、交易、文明・文化の交流をもたらしたことによって、世界史に大きな意味をもつ。
これらの航海に加えて、
(5)北東航路(北大西洋から北東に向かい、北極海を東に進んでベーリング海峡から太平洋に出る航路)と北西航路(北大西洋から北西に向かい、北極海を西に進んでベーリング海峡から太平洋に出る航路)も東方への到達が目的だった。スペインとポルトガルが東方や新世界への航路を開いたあと、出遅れたイギリスやオランダは、スペインやポルトガルの権益が強くなかった北極海を経由する航路を求めた。
さらに、大航海時代は終っているが、
(6)ベリングスハウゼンFabian Gottlieb von Bellingshausen(1779―1852、ロシア語読みはベリンスガウゼンBellinsgauzen)の南極海探検航海は、大西洋への進出で西ヨーロッパ諸国に遅れをとったロシアが南極海では遅れないように1819年に送り出した航海であった。
これらの航海によって、船と航海にかかわる科学・技術は著しく進歩し、海と海上大気についての知識が豊かになっただけではなく、海の大きさ、広さ、そこに繰り広げられるいろいろな現象が人々の視野を広げることになった。
第二次世界大戦後は、ミサイル潜水艦の出現によって冷戦時代には大西洋は緊張の海となった。1949年の北大西洋条約はアメリカ・カナダとヨーロッパ諸国の軍事上の結束を強めたが、1980年代になって条約機構の主導権を維持しようとするアメリカと条約機構のヨーロッパ化を目ざすヨーロッパ諸国の対立が生まれた。
[半澤正男・高野健三]
『長沢和俊著『世界探検史』(1969・白水社)』▽『『小学館百科別巻2 海洋大地図』(1980・小学館)』▽『奈須紀幸監修『世界海洋アトラス』(1983・講談社)』▽『正井泰夫著『グローバル世界地誌――大西洋圏と太平洋圏』(1991・二宮書店)』