アギナルド(読み)あぎなるど(英語表記)Emilio Aguinaldo

デジタル大辞泉 「アギナルド」の意味・読み・例文・類語

アギナルド(Emilio Aguinaldo)

[1869~1964]フィリピン独立運動指導者スペイン支配に抵抗し、1899年、共和国大統領となる。植民地化をめざす米国と対立して失敗。1901年、政界から引退

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アギナルド」の意味・わかりやすい解説

アギナルド
あぎなるど
Emilio Aguinaldo
(1869―1964)

フィリピン革命の指導者。カビテ州カビテビエホ(現カウィット)の名家の出。1895年同町の町長に選出されるやスペイン植民者の目を欺いて秘密結社カティプーナンに入会。1896年8月革命が勃発(ぼっぱつ)するとカビテ州の革命軍を率いて名声をあげ、革命全体の指導権を要求するに至った。そのためカティプーナン総裁ボニファシオとの間に内訌(ないこう)を生じたが、これに勝って、1897年3月革命政府大統領となった。しかし、彼の指導は日和見(ひよりみ)的で、1897年12月にはスペインと講和して香港(ホンコン)へ亡命。1898年4月アメリカ・スペイン戦争が始まると帰国してふたたび革命の指導権を掌握、1899年1月には第一次フィリピン共和国(マロロス共和国)を樹立して大統領に就任した。だが、同年2月から始まったアメリカとの戦争で、1901年3月逮捕され降伏した。以後は郷里で隠遁(いんとん)生活を送っていたが、1935年フィリピン・コモンウェルス(連邦)初の大統領選挙に担ぎ出されケソンに敗れた。

[池端雪浦]

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改訂新版 世界大百科事典 「アギナルド」の意味・わかりやすい解説

アギナルド
Emilio Aguinaldo
生没年:1869-1964

フィリピン革命の指導者。ルソン島カビテ州の出身で,生家は長年町長をつとめた名家であった。彼も1895年に町長に選ばれたが,同時に秘密結社カティプーナンに入会して,スペイン支配の打倒をめざした。96年8月,フィリピン革命が勃発すると,カビテ州の革命軍を率いてめざましい活躍を示し,カティプーナン総裁ボニファシオとの間に指導権争いを生じた。97年5月,ボニファシオを粛清して革命の指導権を握ったが,彼の指導は日和見的で,97年12月にはスペインと和を講じて闘争を放棄し,ホンコンへ亡命した。しかし,翌98年4月アメリカがスペインに宣戦布告を行うと(米西戦争),帰国して革命戦線に復帰し,再び指導権を握った。同年9月,有産知識階級の後押しで,ブラカン州マロロス町に革命議会を開き,翌年1月にはマロロス憲法を発布して,フィリピン共和国を樹立,彼はその初代大統領に選ばれた。しかし,アメリカの真意がフィリピン占領にあることが明らかになるに及んで,99年2月にフィリピン・アメリカ戦争を開始したが,アメリカの圧倒的な軍事力の前に敗北を重ね,1901年3月アメリカ軍に降服した。その後はカビテ州の郷里に隠遁して,政治の表で活躍することを好まなかったが,35年の第1回コモンウェルス政府大統領選挙にかつぎ出され,ケソンに敗れた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アギナルド」の意味・わかりやすい解説

アギナルド
Aguinaldo, Emilio

[生]1869.3.23. カビテ近郊
[没]1964.2.6. マニラ
フィリピン革命の最高指導者。1896年8月カビテ州ビエホの町長となったが,その頃には革命秘密結社カティプナンの地区幹部でもあり,対スペイン独立闘争に参加。スペイン軍を破り,1898年1月にはビアクナバト条約によりスペインと和平が成立したが,和平交渉の結果,自身は国外へ永久追放となり,1898年アメリカ=スペイン戦争勃発とともに帰国。アメリカ合衆国と共闘してスペイン軍を破ったが,のちアメリカの占領政策と対決。ついに 1899年1月フィリピン共和国樹立を宣言,マロロス憲法を発布し,初代大統領となってアメリカ軍と戦ったが,1901年3月捕えられ以後隠遁生活を送った。1935年にフィリピン共和国政府の初代大統領選挙に立候補したが落選し,政界から退いたが,1941年フィリピンを占領した日本軍に動員され,戦後逮捕,投獄された。独立後特赦により釈放。1950年名誉回復の印として国会議員に任命された。(→フィリピン史

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百科事典マイペディア 「アギナルド」の意味・わかりやすい解説

アギナルド

フィリピン独立運動初期の指導者。秘密結社カティプーナンに属し,1896年以来スペイン,米国に対し独立を宣して反乱,2度にわたり革命政府大統領に選ばれたが失敗,1901年後は引退。1935年大統領選挙に立候補したがケソンに敗れ,政界から退いた。
→関連項目黒竜会頭山満フィリピンポンセ

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アギナルド」の解説

アギナルド
Emilio Aguinaldo

1869~1964

フィリピン独立革命政府の大統領(在任1898~1901)。マニラ近郊カビテ州の町長だったが,秘密結社カティプーナンに加入して1896年の決起に参加,97年ボニファシオ兄弟を粛清,処刑して最高指導者となった。スペインと和約を結び香港に亡命したが,98年アメリカ‐スペイン戦争中にアメリカの協力で帰国して独立を宣言。アメリカへの併合後は抵抗して戦ったが,1901年に逮捕されると帰順を誓い引退。フィリピン独立運動指導者としての評価は今日でも定まっていない。

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旺文社世界史事典 三訂版 「アギナルド」の解説

アギナルド
Emilio Aguinaldo

1869〜1964
フィリピン独立運動の指導者
1895年,急進的民族主義団体カティプーナンに入会。1896年スペインからの独立運動をめざすフィリピン革命を起こしたが,内部分裂などから一時香港に亡命した。1898年の米西(アメリカ−スペイン)戦争の際に帰国し,革命政府の大統領となった。アメリカがフィリピンを領有すると武力で反抗し,1901年アメリカ軍に捕らえられ,のちしだいに親米的になった。第二次世界大戦中,日本と結んで独立をはかろうとしたこともある。

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世界大百科事典(旧版)内のアギナルドの言及

【フィリピン】より

…革命を主導したのは,秘密結社カティプーナンであった。しかし,革命開始後まもなくして,革命軍内部には,地域主義と階級の違いを主要因とする,深刻な指導権争いが生じ,革命のリーダーシップはカティプーナン総裁ボニファシオの手からカビテ州プリンシパリーア階層の先頭に立つアギナルドの手に移った。アギナルド指導部は97年12月スペインと和約を結んで,革命終息をはかり,彼らは香港へ亡命した。…

【フィリピン・アメリカ戦争】より

…近代的装備に勝るアメリカ軍は破竹の勢いで革命軍の防衛線を突破し,全島に侵略の歩を進めた。99年3月末首都マロロスが陥落し,11月には革命政府大統領アギナルドが北部ルソン山岳地帯に追い込まれて,全軍的指揮能力を失った。だがアメリカにとっての苦戦はむしろこの時から始まった。…

【ボニファシオ】より

…1880年代に入ってスペイン支配の改革を求めるプロパガンダ運動が始まると,率先してこれに参加したが,知識人中心の言論活動の不毛さに失望して,92年7月同志とともに武装革命をめざす秘密結社カティプーナンを結成,95年にその第3代総裁となり,96年8月フィリピン革命を開始した。しかし闘争の過程でアギナルドの率いるカビテ州のプリンシパリーア階層との間に指導権争いを生じ,これに敗れて,97年5月10日アギナルド革命政府の手で処刑された。【池端 雪浦】。…

※「アギナルド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」