ひたちなか(市)(読み)ひたちなか

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ひたちなか(市)」の意味・わかりやすい解説

ひたちなか(市)
ひたちなか

茨城県中央東部、太平洋に面する市。1994年(平成6)勝田市と那珂湊市(なかみなとし)が合併して成立。南は那珂川を挟んで水戸市に接し、那珂川河口に那珂湊漁港、北部に重要港湾茨城港の3港区の中央港区にあたる常陸那珂港(ひたちなかこう)がある。JR常磐線(じょうばんせん)、国道6号、245号がほぼ平行して南北に走り、東水戸道路・常陸那珂有料道路のひたちなか、ひたち海浜公園のインターチェンジがある。市内をひたちなか海浜鉄道が通る。旧勝田市は、1940年(昭和15)に日立製作所の工場ができ、1960年に勝田工業団地が造成され、電気機器、自動車部品などの工業都市、また水戸市の郊外住宅都市として発展してきた。旧那珂湊市は、那珂湊漁港を中心とする県下最大規模の漁業・水産加工基地と、水戸八景のひとつ「水門帰帆(みなとのきはん)」の景勝地として知られてきた。

 第二次世界大戦前、水戸陸軍飛行学校として使用されていた北東部一帯は、戦後、アメリカ軍の水戸射爆場となっていたが、1973年に返還され、1981年以後開発整備計画が進められた。開発区域に1989年着工された常陸那珂港は、国際コンテナ埠頭(ふとう)を備えた流通港湾として整備され、周囲に国営ひたち海浜公園や自動車安全運転センター安全運転中央研修所、常陸那珂工業団地などが配置されている。この常陸那珂地区の開発進展に伴って両市が合併し、国際港湾都市としての発展を目ざすことになった。開発地区南の阿字ヶ浦(あじがうら)は北関東最大級の海水浴場、阿字ヶ浦に臨む磯崎に酒列磯崎神社(さかつらいそざきじんじゃ)があり、さらに南の平磯白亜紀層は県指定天然記念物。一帯は大洗(おおあらい)県立自然公園に属する。勝田駅東の中根にある虎塚古墳(とらづかこふん)は彩色壁画があり、馬渡埴輪製作遺跡(まわたりはにわせいさくいせき)とともに国指定史跡。虎塚古墳南側の十五郎穴(じゅうごろうけつ)は横穴墓群で県指定史跡。面積99.97平方キロメートル、人口15万6581(2020)。

[編集部]


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