黄瓜御薗(読み)きうりのみその

改訂新版 世界大百科事典 「黄瓜御薗」の意味・わかりやすい解説

黄瓜御薗 (きうりのみその)

中世,天皇に供御(くご)の黄瓜を備進した菜園で,生産,備進に従う者を黄瓜供御人といった。その源流は,令制下宮内省園池司で諸役を免ぜられて蔬菜種殖に従った園戸,式制下山城,大和に設けられていた内膳司の園地にあったと考えられるが,中世の荘園制的分業の展開にともなって,御薗および供御人として編成された。統轄機関は,天皇の供御を調進する御厨子所(みずしどころ)であったが,のち内蔵寮くらりよう)の支配下に入った。鎌倉幕府没落直後にあたる1333年(元弘3)5月,内蔵寮領経営の実情について注進された《内蔵寮領等目録》によると,毎年6月,大和国黄瓜御薗から黄瓜供御人が上洛して,3日間は内侍所(ないしどころ)以下方々に,残り27日間は内蔵頭(くらのかみ)に対して,〈瓜廿代銭十三文宛〉進めたことがわかる。しかし,ここで代銭による貢納が行われているように,この時期すでに黄瓜御薗の本来的意義は消滅しつつあったといえよう。
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