麓城跡(読み)ふもとじようあと

日本歴史地名大系 「麓城跡」の解説

麓城跡
ふもとじようあと

[現在地名]能美町中町

江田島えたじま湾を北に望む標高約五〇メートルの丘陵にある中世の城跡。山麓を麓川が流れる。正徳五年(一七一五)の佐伯郡両能美島寺社古跡覚書帳(沖美町専念寺蔵)に「一苻本古城跡、壱ケ所、右城主知レ不申候」とあり、宝暦一三年(一七六三)の「能美島志」(同寺蔵)は「麓城 有中邑山中、是堀城後備」と記す。「芸藩通志」は「主名詳ならず、或云、松田善之進」と記す。松田氏は能美氏の一族で、山野井氏の系図(山野井文書)によれば松田善之進の娘が山野井氏一二代源兵衛重吉の妻となっており、天正―文禄(一五七三―九六)頃、毛利氏の給人であったことが知られる。

麓城跡
ふもとじようあと

[現在地名]美甘村美甘 麓

出雲往来のすぐ北、標高五一三メートルのじよう山山頂に築かれた山城。城主は高田たかた(現勝山町)城主三浦貞明の次男忠近で、三浦氏の支配領域の入口に位置する出城であった。「作陽誌」によれば、天文年間(一五三二―五五)に忠近は出雲の尼子晴久と戦って敗れ自刃、その時忠近の座した石を腹切石とよび、これに触れるとにわかに腹痛を起こすなどの祟りがあり、里人が小祠を建てて祈りようやくやんだと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報