鹿ノ子遺跡(読み)かノこいせき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鹿ノ子遺跡」の意味・わかりやすい解説

鹿ノ子遺跡
かノこいせき

1979~82年の調査で発掘された,茨城県石岡市遺跡。石岡市は奈良・平安時代に常陸国国府が置かれた地で,国分寺国分尼寺跡でも知られている。遺跡は市の東北にあり,国府と密接に関連した遺跡とされる。掘立柱建物・竪穴住居・工房の土壙 (どこう) とともに鉄製の武具類や漆紙文書断片 (3857点でうち 289点が解読された) が発掘され,9世紀初めの国府の造兵廠 (しょう) の跡と推定されている。 792年に諸国軍団が廃止されたなかで,9世紀初めに坂上田村麻呂の蝦夷征討が行なわれたが,この遺跡はそれとかかわりのある北関東の兵站 (へいたん) 基地・兵器製作工場ではなかったかという。

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