鵜浦村(読み)うのうらむら

日本歴史地名大系 「鵜浦村」の解説

鵜浦村
うのうらむら

[現在地名]七尾市鵜浦町

崎山さきやま半島先端部に位置し、東は富山湾に面し、北は小口こぐち瀬戸を隔てて能登島(現能登島町)。ほぼ北東流する崎山川沿いに上流から山崎やまざき向山崎むかいやまざき中浦なかうら向中浦むかいなかうらなど、富山湾の河口川尻かわしり小口瀬戸側に中出浦なかでうら鹿渡島かどしまなどの垣内がある。承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に「東湯浦村」とみえ、当地に比定される。公田数は一町三段四。永正一一年(一五一四)一一月六日の和田分神役段米注文案(気多大宮司家文書)によると「湯浦免田」の存在が知られ、楊田宮司分の神役一石五斗と友永分の朔幣料五〇〇文・神役四升の収納分がみえる。戦国後期頃の能登内浦村々給人注文写(諸橋文書)にみえる角島は鹿渡島にあたると思われ、湯浦とともに遊佐氏の給分。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報