北島(読み)きたじま(英語表記)Bei-dao

精選版 日本国語大辞典 「北島」の意味・読み・例文・類語

きたじま【北島】

(「きたしま」とも) 姓氏一つ

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デジタル大辞泉 「北島」の意味・読み・例文・類語

きたじま【北島】

姓氏の一。
[補説]「北島」姓の人物
北島見信きたじまけんしん
北島雪山きたじませつざん

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現代外国人名録2016 「北島」の解説

北島
ホクトウ
Bei-dao

職業・肩書
詩人 香港中文大学教授

国籍
中国

生年月日
1949年8月2日

出生地
北京

本名
趙 振開

受賞
米国ペンクラブ自由写作賞〔1990年〕

経歴
文化大革命のさなか21歳の頃より詩作を始め、文革収束後の1978年詩人の芒克、画家の黄鋭らと地下文学雑誌「今天!(TODAY!)」を創刊し、いわゆる朦朧詩派の中心的存在として活躍した。’80年停刊処分。この間、’76年の天安門事件の際に作られた「回答」(’76年)、「花束」(’78年)、「終りまたは始まり」(’80年)、「眠れ谷間よ」(’81年)などの詩があり、’86年には長詩「白日夢」を発表。文革を背景に失われた世代の呪詛虚無を描いた小説「波」(’79年)などがある。また北欧詩の翻訳も手がけ、訳書に「北欧現代詩選」(’87年)、「シューデルグラン詩選」(’87年)があり、’87年には英国のダーハム大学客員研究員を務めた。’89年の「六・四」天安門事件を機に出国し、欧米に滞在。’90年に「今天!」をノルウェー復刊、’98年には日本でも復刻される。同年芒克、黄鋭と共に日中国際芸術祭に参加のため来日。2008年より香港中文大学教授。2009年日本語訳「北島詩集刊行を機に来日し、講演朗読を行う。

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百科事典マイペディア 「北島」の意味・わかりやすい解説

北島【ペイタオ】

中国の詩人。北京市に生まれる。本名趙振開。1966年,北京第4中学在学中に文化大革命学業中断。68年より80年まで,コンクリート工などの肉体労働に従事。70年頃より詩と小説を書き始める。78年,芒克らと地下文学雑誌《今天》を創刊,編集長となるが,80年9月北京市公安局により停刊処分を受ける。詩集と小説が出版されるが,89年2月,魏京生ら投獄されている政治犯の釈放を求める,北京市文化人三十三人の公開書翰を提起して公表,同年4月の天安門事件に際して米国に出国,国外流亡を選んだ。ノルウェー,デンマークオランダなど欧州各地を転々とし詩作を続け,93年以降はアメリカに移住,カリフォルニア州立大学などで教鞭をとる。2008年香港中文大学教授に就任。その詩は,イメージの遠近の深さ,変容の自在さ,鮮烈なリリシズムに貫かれ,現代中国詩の最高の達成と評価され,しばしばノーベル文学賞候補に挙げられている。主な詩を集めた日本語訳に《北島詩集》(是永駿訳,書誌山田2009年)がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「北島」の意味・わかりやすい解説

北島[町] (きたじま)

徳島県北東部,板野郡の町。人口2万1658(2010)。吉野川河口部に位置し,北は鳴門市,南は徳島市に接する。高房(たかぼう)を中心とする西部は田畑が多く,明治末年まではアイ栽培が中心であったが,現在では野菜,花卉,ナシの栽培が盛ん。北東部の太郎八須は近世初期に開発された新田集落で,東部の北村地区とともに低湿な土地を利用したれんこん栽培が盛ん。豊富な地下水と広い工場用地,水陸交通の便に恵まれ,東邦レーヨン(工場は2001年閉鎖),日清紡,四国化成などの大工場が立地し,県下最大の工業地帯となっている。近年は徳島・鳴門両市のベッドタウン化が進んだ。国道11号線(淡路街道)が通る。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北島」の意味・わかりやすい解説

北島
ほくとう

ペイタオ(北島)」のページをご覧ください。

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