鴻巣宿(読み)こうのすしゆく

日本歴史地名大系 「鴻巣宿」の解説

鴻巣宿
こうのすしゆく

[現在地名]鴻巣市鴻巣・加美かみ一―三丁目・雷電らいでん一―二丁目・本宮町ほんみやちよう宮地みやじ一―五丁目・本町ほんちよう一―八丁目・ひがし一丁目・同三―四丁目・天神てんじん一―二丁目・同四丁目・人形にんぎよう一―四丁目・富士見町ふじみちよう栄町さかえちよう逆川さかさがわ二丁目・中央ちゆうおう生出塚おいねづか一丁目・ひばり一―二丁目

現鴻巣市の中央部、大宮台地北端にある。北から北東境を元荒川が南東へ流れ、対岸は埼玉郡安養寺あんようじ村および上・下の郷地ごうじ村。中央を中山道が南東から北西へ通る。戦国期の作成と推定される市場之祭文写(武州文書)に「武州足立かう之すの市祭成之」とある。ただし同祭文写や天正五年(一五七七)三月一一日の太田助次郎書状写(同文書)などにみえる鴻巣は近世初期の本鴻巣もとこうのす村、のちの本宿もとじゆく(現北本市)を中心とする地域と考えられる。

近世には足立郡鴻巣領に属した(風土記稿)。江戸から七番目の中山道の宿駅で、桶川宿からは一里三〇町、熊谷宿へは四里六町四〇間の距離にあった。宿内から吉見よしみ領、松山町(現東松山市)行田町(現行田市)騎西きさい(現騎西町)、秩父大宮への道が分岐するほか、滝馬室たきまむろ御成おなり河岸へ通じる道があった(宿村大概帳)。天文二〇年(一五五一)北条氏康の命に応じた小池長門守が、岩付市宿いわつきいちじゆく(現岩槻市)から移住して砦を築いて新田を開発し、市宿新田と命名したのが当地の起りという(風土記稿)。同年九月一日の北条家印判状写(武州文書)は市宿新田の小池長門守屋敷に宛てられており、諸役を免除し、夫食を与えて新田畠の開発を進めるよう命じている。「風土記稿」には慶長七年(一六〇二)本鴻巣村から中山道の宿駅が当所に移された際、市宿新田から鴻巣町に改められたとあり、また文禄四年(一五九五)に市宿新田を宿場に取立てたという伝承も記載される。慶長七年六月の熊谷宿駄賃定書(熊谷市史)に「鴻巣へは十二文の事」とあり、すでに同年には宿が成立していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鴻巣宿の言及

【鴻巣[市]】より

…駅南方の名刹(めいさつ)勝願寺は関東十八檀林の一つで,境内には関東郡代伊奈忠次,《武蔵志》の著者福島東雄,俳人横田柳几(りゆうき)の墓がある。【新井 寿郎】
[鴻巣宿]
 中山道,武蔵国の宿駅。地名の初見は室町期成立の市場祭文。…

※「鴻巣宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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