鮭延城(読み)さけのべじょう

日本の城がわかる事典 「鮭延城」の解説

さけのべじょう【鮭延城】

山形県最上郡真室川町にあった山城(やまじろ)。最上川の支流鮭川を見下ろす高台にある要害である。築城は天文年間(1532~55年)とも永禄年間(1558~69年)ともいわれ、築城者は小野寺氏に臣従していた佐々木氏(のちの鮭延氏)といわれる。小野寺景道は最上氏や武藤(大宝寺)氏と領有を争っていた最上地方の支配を確たるものにするため、佐々木(鮭延)貞綱を岩花城(最上郡戸沢村)に派遣したが、1563年(永禄6)の庄内合戦で武藤氏に敗れ、岩花城を奪われた。このため、新たな政治・軍事拠点として築いたのが岩花城の北方に位置する鮭延城である。城主の佐々木氏は、その築城をきっかけに鮭延氏を称するようになった。最上義光は1581年(天正9)に、氏家尾張守を攻将として鮭延城を攻撃した。剛勇の将といわれた19歳の城主の鮭延秀綱はよく防戦したが、城の水の手を断たれて降伏・落城した。秀綱は最上氏に恭順し領地と城を安堵されたことで、鮭延城は最上方の重要な攻略拠点に変わった。秀綱は1600年(慶長5)の慶長出羽合戦(長谷堂城の戦い)では、最上方として上杉氏と戦い、めざましい戦功をあげている。1622年(元和8)の最上氏の改易後、最上地方は戸沢政盛が入部した。政盛は当初鮭延城に入ったが、鮭延城が山城で領国経営には不便なところだったため、小城であった沼田城を改修して、1625年(寛永2)に新庄城を築き、新庄藩の主城とした。この結果、鮭延城は廃城となった。真室川町の南、鮭川村との境界近く、JR奥羽本線の真室川駅と羽前豊里駅の間にある真室川沿いの踏み切り付近に鮭延城への登城口がある。城跡には城址碑が建っているが、整備されておらず、城の遺構もほとんど残っていない。真室川駅または羽前豊里駅から車。◇真室城とも呼ばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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