鬼柳村(読み)おにやなぎむら

日本歴史地名大系 「鬼柳村」の解説

鬼柳村
おにやなぎむら

[現在地名]小田原市鬼柳

西端を酒匂さかわ川が流れ、足柄上あしがらかみ郡に属した。北は同郡西大井にしおおい(現大井町)、南は足柄下郡桑原くわはら村に接する。村中を南北に小田原道が通り、西を西大井村酒匂川を分水する鬼柳堰が流れる。永正一六年(一五一九)四月二八日の宗瑞(伊勢長氏)箱根領注文(県史三)に「二百八十くわん文 おにやなき しんてんたいくわん」とあり、菊寿丸に譲られている。小田原衆所領役帳には幻庵「三百弐拾六貫弐拾文 西郡鬼柳」とある。

鬼柳村
おにやなぎむら

江釣子えづりこ村と北上市の各一部を含む一帯に比定される。嘉元二年(一三〇四)四月二四日の関東下知状案(鬼柳文書)に「鬼柳村」とみえ、和賀氏庶流鬼柳光義の所領であった。永仁五年(一二九七)一〇月一〇日、光義が夜討を受け殺され、嫡子光景と三男家行が父の譲状を偽造して二人で遺領を分けようとしたとして、次男憲義が幕府に訴えた。譲状の真偽鑑定のための召喚に光景らが応じなかったため、憲義の主張が認められ、二人の相続権を否定する評決がなされた。さらに光義の四男鶴松丸と母も光義とともに殺されたと上申され、光義の遺領はすべて憲義の相伝とする判決が下った。貞和四年(一三四八)光景の孫盛胤は「鬼柳郷」の相伝を主張し奥州管領府に憲義の子義綱を訴えた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android