高麗門裏町(読み)こうらいもんうらまち

日本歴史地名大系 「高麗門裏町」の解説

高麗門裏町
こうらいもんうらまち

[現在地名]熊本市新町四丁目

下職人しもしよくにん町の西側を南北に通る町筋で、北は高麗門勢溜から東に走る新鳥屋しんとりや町、西は外堀内側の土居、南は坪井つぼい川で、高麗門の裏門を見ることになる。通りの左右と、外堀土居に向合う形で西向きに武家屋敷が並び、新鳥屋町筋に面する一部に町家がある。通りの東側に、西向きに三屋敷、南の坪井川に向けて一屋敷があり、間口は一八間から二〇間、奥入一六間で、明暦(一六五五―五八)頃はうち二屋敷が下屋敷であった。元禄(一六八八―一七〇四)頃には知行取屋敷となり、最も大きい屋敷には五〇〇石の小篠氏が住んだ。幕末には坪井川沿いの屋敷地の東隣、瓶屋かめや町の西側に東向きに知行取の小屋敷一が設けられた。通りの西側に四屋敷があり、間口は一五間・一八間・一九間・二六間で、奥入は一二、三間で、この形は幕末まで続く。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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