高雄曼荼羅(読み)タカオマンダラ

デジタル大辞泉 「高雄曼荼羅」の意味・読み・例文・類語

たかお‐まんだら〔たかを‐〕【高雄曼荼羅】

京都高雄の神護寺蔵の、現存する日本最古の両界曼荼羅。天長年間(824~834)空海から請来しょうらいした彩色原本もと赤紫綾地金泥銀泥描線を用いて描いたもので、唐代の画風を的確に伝える。

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精選版 日本国語大辞典 「高雄曼荼羅」の意味・読み・例文・類語

たかお‐まんだら たかを‥【高雄曼荼羅】

京都市右京区梅ケ畑高雄町、神護寺蔵の日本最古の両界曼荼羅図。天長年間(八二四‐八三四)に、空海が唐からもたらした原本に基づいて製作されたもので、赤紫の綾地に金銀泥で描かれ、唐風を忠実に写し伝えている。国宝

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高雄曼荼羅」の意味・わかりやすい解説

高雄曼荼羅
たかおまんだら

京都市高雄山神護寺(じんごじ)に伝来する現存最古の両界曼荼羅。彩色本ではなく赤紫綾(あや)地に良質の金銀泥(でい)で描かれている。国宝で、胎蔵界は446.4センチメートル×406.3センチメートル、金剛界は411.0センチメートル×366.5センチメートルある大幅。制作の手本となったものは空海が中国から請来(しょうらい)した根本(こんぽん)曼荼羅の彩色本(長安の宮廷画家李真(りしん)ら作)。帰朝後に破損したので、821年(弘仁12)図絵された転写本をさらに写したのが本図。尊容鉄線描は優れ、とくに中台八葉院や持明(じみょう)院の運筆は唐時代の図像を的確に伝えている。制作時期については、高田修は、『実録帳』から、空海が高雄山寺(現在の神護寺)に居住していたおり、灌頂(かんじょう)堂で血縁灌頂など行うために829年(天長6)につくられたと推定している。本図は仁和(にんな)寺、蓮華王(れんげおう)院、高野山(こうやさん)を転々とした悲運な時期もあったが、文覚上人(もんがくしょうにん)の神護寺再興時1184年(元暦1)に返納された。1034年(長元7)高野山の成蓮房兼意(じょうれんぼうけんい)が模写したもの(自描)などがある。

[真鍋俊照]

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