高階信順(読み)たかしなののぶのり

朝日日本歴史人物事典 「高階信順」の解説

高階信順

没年:長保3.6.29(1001.7.22)
生年:生年不詳
平安中期の官人。従二位成忠の子。妹の貴子が関白藤原道隆の妻となって伊周,定子(一条天皇中宮)を生みこの家系は大きく躍進。しかし,道隆の病死後,流罪となって伊周が配所の大宰府(太宰府市)に下らず中宮御所に逃げこみ検非違使らの捜索をうけた際,同じく身を隠していた信順らも追捕され,長徳2(996)年冬,配所の伊豆国(静岡県)に流された。2年後,権左中弁から左中弁に昇進しているから,配流は短期間であったろう。出家直後に病死した。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高階信順」の解説

高階信順 たかしなの-のぶのり

?-1001 平安時代中期の官吏
高階成忠の子。妹貴子(きし)は関白藤原道隆の妻。大宰府(だざいふ)に左遷がきまった道隆の子藤原伊周(これちか)が,妹の中宮藤原定子の屋敷に逃げかくれた際,ともに捕らえられ,長徳2年伊豆(いず)に流された。のちゆるされ左中弁にすすむ。長保3年6月29日死去。名は「さねのぶ」ともよむ。

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