高陽院(邸宅)(読み)かやのいん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高陽院(邸宅)」の意味・わかりやすい解説

高陽院(邸宅)
かやのいん

桓武(かんむ)天皇の皇子賀陽(かや)親王邸宅。平安京左京中御門(なかみかど)の南、大炊御門(おおいのみかど)の北、堀川(ほりかわ)の東、西洞院(にしのとういん)の西にあったといわれる。現在の二条城の北東部、上京(かみぎょう)区と中京(なかぎょう)区の境一帯にあたる。のちに藤原摂関家の邸宅となり、頼通(よりみち)のとき拡張され、このようすが『栄花(えいが)物語』などに描写されている。鳥羽(とば)上皇皇后泰子(たいし)を高陽院と称するのは、ここに住したことにちなむ。鎌倉時代に放火のため焼亡、以降造営されることもなかった。

[川島茂裕]

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