高竜寺(読み)こうりゆうじ

日本歴史地名大系 「高竜寺」の解説

高竜寺
こうりゆうじ

[現在地名]土佐山田町旭町五丁目

延命山と号し、本尊は十一面観音。高野山真言宗。かつて阿弥陀あみだ寺と号したが、昭和三六年(一九六一)現寺号・宗派に改めた。

阿弥陀寺は初め山田やまだの字高柳たかやなぎにあり、天正一六年(一五八八)の山田郷地検帳では阿弥陀寺の地名や「阿弥陀寺持」などの記載がみえるが、寺の存在は記されない。しかし「南路志」には「寺記云、往昔細河左近殿山田村高柳に土居在之節、菩提寺にて則山田村に在」と記され、長宗我部検地の頃には高柳に寺地があったはずである。

高竜寺
こうりゆうじ

[現在地名]吉海町名

亀老きろう山山麓にあり、二つの丘陵に挟まれた谷間に静かなたたずまいをみせ、周囲に高い石垣がある。亀老山と号し、真言宗御室派。本尊千手観音。

寺伝では推古四年に恵慈開山で、当時は大亀山船守院竜慶寺といったが、のちに宗豪寺、次いで高竜寺となった。名称の変化とともに、その位置も山中からだんだん麓に降りて来たといわれる。養和元年(一一八一)と天正元年(一五七三)に炎上したが、同一二年に能島のしま城主村上武慶が再興したと伝えられる。

貞享二年(一六八五)の寺社明細言上書には亀老山示現院高竜寺とあり、「麓ヘ十三町従掃部殿町石ヲ被立置所々ニ今相残ル、其節仏供田燈明田御経田等被宛行、今昔百姓地ニ罷成而已、山上ニ宝燈鐘楼堂旧跡大成石塔一有、能島家ノ廟所ト申伝、然ニ能島退転以後寺家脇寺八ケ寺共ニ滅亡也」とあって、中興開山を宥印法印としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の高竜寺の言及

【吉海[町]】より

…平安時代末期,大島には醍醐寺領大島荘が置かれ,町域はその〈吉浦方〉であった。中世には村上水軍の根拠地で,亀老山の隈ヶ岳城をはじめ多数の城跡があり,亀老山麓の高竜寺は南朝方として活躍した村上義弘の菩提寺とされる。津倉湾奥の幸(さいわい)新田は1697年(元禄10)に完成した干拓地で,島内の穀倉地帯であり,現在は町の中心地となっている。…

※「高竜寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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