日本大百科全書(ニッポニカ) 「高松城(岡山市)」の意味・わかりやすい解説
高松城(岡山市)
たかまつじょう
戦国期の城。岡山市北区高松にあり、普通、備中(びっちゅう)高松城といわれている。城は、中国統一の鍵(かぎ)を握る吉備(きび)平野の一角、背後に山を控え、南西は足守(あしもり)川、三方が沼という平城(ひらじろ)ながら要害の地にあった。1569~70年(永禄12~元亀1)ごろ備中松山城に拠(よ)る三村(みむら)氏の重臣の一人石川久式(ひさのり)によって築かれ、久式が三村氏とともに毛利(もうり)氏に滅ぼされたあと、久式の家臣だった清水宗治(しみずむねはる)が毛利氏に取り立てられて城主となった。1582年(天正10)羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉は3万余の大軍で包囲したが容易に落ちず、足守川をせき止めて城を水攻めにし、ついに講和開城させた。往時は本丸、二の丸、三の丸からなっていたが、現在は本丸跡が史跡公園として整備されており、あとは水田、宅地と化している。
[小和田哲男]
『富阪晃著『岡山の城』(1995・山陽新聞社)』
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