高師詮(読み)こうの もろあきら

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高師詮」の解説

高師詮 こうの-もろあきら

?-1353 南北朝時代武将
高師直(もろなお)の子。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)のなか父が討たれたのち,一時身をかくす。文和(ぶんな)2=正平(しょうへい)8年南朝方についた山名時氏山陰挙兵すると,対抗する足利義詮(よしあきら)方についてたたかう。一時勢力をえたが,同年6月12日山名勢に敗れ自刃(じじん)したという。通称は武蔵将監。

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朝日日本歴史人物事典 「高師詮」の解説

高師詮

没年:文和2/正平8(1353)
生年:生年不詳
南北朝時代の武将。師直の子。武蔵将監。観応の擾乱以前の行動については,多くは伝えられていない。師直が殺害されたのち,一時隠遁していたが,文和1/正平7(1352)年,室町幕府方として,丹波丹後武士を結集して,南朝に対抗する。かなりの勢力を得て,丹後守護となった。だが翌年6月12日,山名勢力に敗れて,自害したと伝えられている。

(伊藤喜良)

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