高市皇子(たけちのおうじ)(読み)たけちのおうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

高市皇子(たけちのおうじ)
たけちのおうじ
(654?―696)

天武(てんむ)天皇の最年長皇子。「たけちのみこ」とも読む。母は胸形君(むなかたのきみ)(宗像氏)徳善(とくせん)の女(むすめ)、尼子娘(あまこのいらつめ)。長屋王鈴鹿(すずか)王の父。672年(弘文天皇1)の壬申(じんしん)の乱では父を助けて活躍。美濃(みの)の不破(ふわ)に派遣され軍事を監し、美濃の和蹔(わざみ)では父からことごとく軍事(指揮権の意)を授けられた。乱後近江(おうみ)群臣の犯状を宣し処罪した。685年(天武天皇14)浄広弐(じょうこうに)の位を授けられ、690年(持統天皇4)太政大臣に任ぜられ、翌年増封、計3000戸、692年には計5000戸、翌年位、浄広壱に昇り、持統(じとう)天皇10年7月10日薨(こう)じ、皇太子草壁(くさかべ)皇子に対し後皇子尊(のちのみこのみこと)と称せられる。『万葉集』に十市(とおち)皇女を悼む短歌3首がある。柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の皇子を悼む挽歌は、『万葉集』最長、雄渾(ゆうこん)な歌として有名である。

[横田健一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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