高岡庄(読み)たかおかのしよう

日本歴史地名大系 「高岡庄」の解説

高岡庄
たかおかのしよう

土佐市東部、高岡町から仁淀によど川河口の新居にいに至るかなり広域な地を占めた摂津四天王寺領の荘園

貞和五年(一三四九)三月九日付の足利直義下知状(秋野房文書)によれば、高岡庄は平安末―鎌倉初期頃、後白河院が勅旨をもって四天王寺五智院領として施入したもので、守護使不入の特権を源頼朝以来鎌倉幕府から認められており、延慶二年(一三〇九)五月一六日付の秋野坊性順譲状(同文書)では五智院上座職をもつ秋野坊が納所職を相伝していたことがわかる。直義下知状を受けた貞和五年一一月一五日付の沙弥増慶打渡状(同文書)および貞治五年(一三六六)一二月八日付の将軍足利義詮御判御教書(同文書)に「高岡庄七ケ郷」とあり、荘域は広大なものであったと想定されるが、具体的な郷名は明らかでない。

高岡庄
たかおかのしよう

いち川中流域西岸に位置する高岡北条の一部が庄園化したものと考えられるが、特定できない。摂関家領の庄園として成立し、近衛家に伝えられた。寛喜二年(一二三〇)二月二〇日の小山朝政譲状(小山文書)に高岡庄とみえ播磨守護小山朝政は播磨の守護奉行職(守護職)とともに高岡庄などを嫡孫長村に譲っている。これらは朝政が嫡男朝長に譲っていたが、朝長の早世により、その嫡男長村に譲り置くことにしたものである。これ以前に嫡子(朝長)に譲り置いた年月日未詳の小山朝政所領注文案(同文書)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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