駒込上富士前町(読み)こまごめかみふじまえちよう

日本歴史地名大系 「駒込上富士前町」の解説

駒込上富士前町
こまごめかみふじまえちよう

[現在地名]文京区本駒込ほんこまごめ二丁目・同五―六丁目、豊島区駒込こまごめ一丁目

日光御成道(道幅五間)を挟んで、大和郡山藩柳沢家下屋敷の東側に位置した片側町の百姓町屋。町は二ヵ所に分れ、南部分は東が上駒込村、西が郡山藩下屋敷、南が旗本白須甲斐守下屋敷、北が上駒込村。北部分は東が上駒込村、西が郡山藩下屋敷・上駒込村、南・北が上駒込村であった。町名駒込富士前町より上の方にあることによる。町域は北部分は東西が南の方で八間余、北の方で二〇間、南北は五二間余で、坪数は七五〇坪余。南部分が東西一八間、南北が四四間余で、坪数は七九六坪余であった。古くは伝通でんづう院領駒込村の百姓地であったが、のち町屋が建ち、元文二年(一七三七)に町屋を公許され、延享二年(一七四五)には人別が町奉行支配となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報