馮玉祥(ふうぎょくしょう)(読み)ふうぎょくしょう

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

馮玉祥(ふうぎょくしょう)
ふうぎょくしょう / フォンユイシヤン
(1882―1948)

中国の軍閥政治家。「ひょうぎょくしょう」とも読まれる。安徽(あんき)省出身。民主化の方向を志向し、クリスチャン将軍とよばれた。初めは段祺瑞(だんきずい)(安徽派)に従い、のち直隷(ちょくれい)派に接近、1924年10月、北京(ペキン)で突如兵変を起こし、自ら国民軍と称して直隷派曹錕(そうこん)を追い、一時、北方実権を握った。1926年、国民党に入って西北国民軍総司令となった。1928年北伐に呼応して奉天軍を追い、国民党中央執行委員となったが、1930年には反蒋介石(しょうかいせき)運動を展開し失敗して除名された。抗日戦争中は復党し、重慶(じゅうけい)にあって蒋介石のもとで軍事委員長に任じた。しかし蒋のファッショ化には反対した。1946年外遊してアメリカで反蒋声明を発表、1949年人民政治協商会議に参加するため、当時のソ連経由で帰国の途中、黒海で乗っていた船の火災のため死去した。なお、夫人李徳全(りとくぜん)は中華人民共和国初代の衛生部長、中国紅十字会長に任じた。

安藤彦太郎

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