馬目村(読み)まのめむら

日本歴史地名大系 「馬目村」の解説

馬目村
まのめむら

[現在地名]いわき市平馬目たいらまのめ

原高野はらごや川流域にあり、南は泉崎いずみざき村、東は大森おおもり村、西と北は絹谷きぬや村。建武元年(一三三四)九月七日の八幡宮造営注文案(飯野八幡宮文書)によれば、飯野いいの八幡宮の「別当庁屋伍間」を「馬目村孫四郎入道役所也」が絹谷村の二人とともに負担している。永徳四年(一三八四)八月日の好島東庄放生会祭礼役注文(同文書)に「馬目穎谷寄合之」とみえる。

馬目村
まのめむら

[現在地名]海津町馬目

内記ないき村の北西にあり、西は福島ふくしま村。「まのべ」ともよみ、物部から転じた地名という(新撰美濃志)慶長郷帳に村名がみえ、高三五七石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では徳永昌重(高須藩)領。正保郷帳でも同藩領で、田八〇四石余・畑一九九石余のうち新開高六四七石余。別に馬目新田が高付される。元禄郷帳でも同藩領だが、村高は五九一石余とある。寛永七年(一六三〇)免定(伊藤文書)によれば、高三五七石余・取米一四八石余、新田五五一石余・取米七石余。元禄一三年(一七〇〇)の免定(同文書)にはこま村の堤が決壊したためこの年水損取米なしとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報