馬寄村(読み)うまよせむら

日本歴史地名大系 「馬寄村」の解説

馬寄村
うまよせむら

[現在地名]一宮市今伊勢いまいせ馬寄うまよせ

東は佐千原さちはら村・一之宮いちのみや村に接し、東西に長い村で、西側を南北に岐阜街道が通っている。村名について「府志」は古くは今寄いまよせ庄や今寄村と称したとし、「尾張志」は

<資料は省略されています>

という。応安七年(一三七四)懸仏銘(石刀神社蔵)に「尾州中島郡今寄村岩戸」とみえ、今寄村を称している。

「今伊勢町史」や天保村絵図は、西宮社さぐちしや古墳上町屋かみまちや古墳・稲荷山いなりやま古墳・石刀いわと古墳など壊滅も合わせて一二基の古墳をあげている。「尾張名所図会」も富士塚ふじづかをあげ「馬寄村にあり一巨岩松樹茂りたる(中略)此辺及ひ宮後村のあたりに古塚多し」と、上町屋古墳について説明する。

馬寄村
まいそむら

[現在地名]門司区東馬寄ひがしまいそう上馬寄かみまいそう一―三丁目・しや一―二丁目・稲積いなづみ一―二丁目・みどりおか藤松ふじまつ一―三丁目・上藤松かみふじまつ一―三丁目

大里だいり村・やなぎ村の南に位置する。「まいそ村」などとみえるが(永青文庫蔵「万日帳」寛永元年九月二五日条)、マイソウともいう。元和八年人畜改帳に馬寄村とみえ、御蔵納分高四一五石余(「中国出作八幡領共」と記す)、給人一人分の高一〇〇石余の二筆で、家数五四、人数一三九(うち百姓八・名子四)、牛一五・馬三で牛屋・馬屋一三。

馬寄村
まよせむら

[現在地名]古川市馬寄

古川宿の東方、鳴瀬なるせ川と江合えあい川に挟まれた地帯にあり、南に端郷鷹巣たかのすがある。北は李埣すもぞね村、南は楡木たまのき村、東は遠田とおだつるそね村・同郡深沼ふかぬま村、西は蓑口沼みのくちぬま村と接する。村名の由来について、「安永風土記」に「当村ハ往古草谷地ニ而近郷之草飼場ニ有之馬数疋宛相放置候故馬寄と申唱候を直ニ村名ニ称来候由」とある。正保郷帳に田三六貫六六九文・畑二貫六七文とあり、ほかに同所新田三八貫三八二文がある。「安永風土記」は馬寄村と端郷鷹巣とに分けて記し、馬寄村は田四九貫三七一文・畑一貫五四〇文(うち茶畑四二文)で、蔵入は四貫一二三文、給所は四六貫七八八文、人頭一三人(うち沽却禿二)、家数一六(うち水呑一・借屋四)、男四四・女三〇とあり、鷹巣は田三三貫九〇六文・畑五三六文で、蔵入は五貫六四八文、給所は二八貫七九四文、人頭九人、家数一一(うち借屋二)、男二六・女二一、馬八とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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