結城(読み)ゆうき

精選版 日本国語大辞典 「結城」の意味・読み・例文・類語

ゆうき ゆふき【結城】

[1] (木綿(ゆう)をその木皮からとるユウノキが栽植されていたところから)
[一] 茨城県西部(下総国)の郡名。大化元年(六四五成立。のち岡田・豊田の二郡が分かれたが、明治二九年(一八九六合併
[二] 茨城県西部の地名鬼怒川に沿う。中世結城氏、江戸時代は水野氏一万八千石の城下町。古くから養蚕業が盛んで、結城紬(つむぎ)特産地として発達した。昭和二九年(一九五四市制
[2] (一)(二)でつくられる織物。結城紬・結城縞など。
滑稽本東海道中膝栗毛(1802‐09)八「きもののことか。さればの、結城(ユウキ)のぐっといきな縞で、三まいばかり」

ゆうき ゆふき【結城】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「結城」の意味・読み・例文・類語

ゆうき【結城】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「結城」姓の人物
結城氏朝ゆうきうじとも
結城昌治ゆうきしょうじ
結城豊太郎ゆうきとよたろう
結城秀康ゆうきひでやす
結城孫三郎ゆうきまごさぶろう
結城宗広ゆうきむねひろ

ゆうき【結城】[地名]

茨城県西部の市。鬼怒川中流域にある。中世は結城氏、近世は水野氏の城下町。結城つむぎ産地。桐たんす・下駄なども特産。人口5.3万(2010)。
結城紬」の略。

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改訂新版 世界大百科事典 「結城」の意味・わかりやすい解説

結城[市] (ゆうき)

茨城県西部の市。1954年市制。人口5万2494(2010)。結城台地の北部と鬼怒川西岸の沖積地からなり,JR水戸線と国道50号線が通じる。中世には結城氏の本拠地,近世には結城藩の城下町として発達した。古くから桑園が多く養蚕業が盛んで,特に農家の副業として発達した結城紬つむぎ)は水野氏の保護奨励や,また大正期に細工紬の技術が導入されたこともあって現在に至るまで特産品として知られている。その平織技術は国の重要無形文化財に指定されている。元禄期(1688-1704)以降,ワタの栽培も行われ,その織物は真岡木綿として知られた。寛政年間(1789-1801)には10軒余の問屋があり,1785年(天明5)の産地相場は上紬1疋が1両3分,下紬は1両1分。1873年の産額紬縞木綿縞ともに6000反であった。現在も県下の繊維工業の中心地で,茨城県工業技術センター繊維工業指導所が設けられている。また桐だんす,桐下駄も特産する。農業は米麦作のほか桑苗の栽培が行われる。1960年代以降工場誘致が進められ,70年代からは内陸工業団地も造成された。東京都心への通勤圏内にあり,73年首都圏の都市開発区域の指定を受け人口が増加している。市街地には城下町の原形をとどめる街並みが残り,周辺には史跡,社寺が多い。
執筆者:

先土器・縄文・弥生・古墳各時代の多くの遺物・遺跡が示すように,古くから北関東の中心地の一つであった。7世紀後半に下総国の一郡として結城郡が成立,郡衙は郡の中心上山川に置かれ,その付近には法城寺(結城寺)も創建された。937年(承平7)平貞盛らが平将門の石井(いわい)営所を攻撃する時,法城寺付近を通っているように,この地は下野・常陸方面から将門を攻める前線となっていたが,在地豪族層の動向は不明で,12世紀ごろ郡司の簗・人手両氏の存在がうかがえるにすぎない。

 中世に活躍する結城氏の祖朝光は下野大掾小山(おやま)政光の三子で,1183年(寿永2)志田義広の乱で戦功をあげ源頼朝から結城郡を与えられた。しかし結城氏は結城郡全体を支配していたのではなく,その一族の山川氏が郡南半を支配下に置き,郡北半を支配する結城氏と比肩しうる勢力を有していた。南北朝の内乱に際しては結城・山川両氏はともに足利尊氏に属して各地を転戦したが,結城氏は相つぐ当主の戦死で一時衰退,直光の時にようやく勢力を回復して安房守護となり,次代基光は小山義政の乱を平定してのち下野守護となった。山川氏では嫡流に代わって有力庶流が勢力をのばし,郡南半を完全に支配下に置いていた。1440年(永享12)結城氏朝は鎌倉公方足利持氏の遺児を擁して反上杉氏勢力を結集させ,幕府・上杉連合軍と約1年にわたる籠城戦を展開したが,山川氏の離反などもあって敗死し,結城氏は一時断絶した(結城合戦)。しかし足利成氏の復帰に伴い氏朝の遺児成朝が結城氏を再興,やがて政朝の時に家中統制に成功して勢力を伸ばした。次代政勝が小田氏を破って最盛期を迎え城下町も発展,1556年(弘治2)には《結城家法度》も制定された。そのころ山川氏は山川城に拠り結城氏と結んで周辺勢力と対峙,山川城下の整備も進められた。結城氏は山川氏や多賀谷・水谷(みずのや)両氏を目下の同盟関係に置き,佐竹・宇都宮両氏とともに後北条氏の圧力に対抗して命脈を保ち90年(天正18)小田原参陣によって豊臣政権の支配に属した。
執筆者: 近世には,文禄期(1592-96)から慶長期(1596-1615)の初頭,結城秀康によって建設された城下町を母体として発展した。1590年から1601年までは秀康が支配し,秀康の越前転封後は,25人という激しい譜代大名・代官支配の変遷を経て,1700年(元禄13)水野勝長が1万8000石で入り,以後水野氏が相承して明治維新に至った。1691年の町数は22町。屋敷地は27町7反余,うち御免地16町8反余。御免地は俗に〈御朱印堀〉と呼ばれる掘割に囲まれていた。1703年の家数は1036戸,人口4485人。
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