香山寺跡(読み)こうさんじあと

日本歴史地名大系 「香山寺跡」の解説

香山寺跡
こうさんじあと

[現在地名]中村市坂本

坂本さかもと九重くじゆう中間中筋なかすじ川右岸の標高二二一メートルの山上にあり、この山を香山寺とよぶ。「南路志」によれば宝生山求聞持院または南見山高寿院と号し、江戸時代には真言宗石見いしみ寺の末寺の一つ。本尊は十一面観音で、空海の開山と伝える。また同書は「寺記曰」として「昔ハ七堂伽藍ニ寺麓より八丁峯ニ有、天和年中退転、中村大円寺兼帯也、昔ハ御作事忠義公忠豊公之御再興棟札有」と記す。

草創時期や事情については不詳だが、嘉禎三年(一二三七)当寺に田三町(小塚村内大坪一町・早代内長一町・中津町一町)を寄進した法橋なる者の一〇月一八日付寄進状(「蠧簡集」所収金剛福寺文書)には「香山寺在土佐国幡多御庄本郷内」として、

<資料は省略されています>

とあり、幡多はた庄本家一条氏の帰依を受けていたことがうかがわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報