静間郷(読み)しずまごう

日本歴史地名大系 「静間郷」の解説

静間郷
しずまごう

貞応二年(一二二三)三月日の石見国惣田数注文に「しつまの御れう 十八丁一反小」とみえる。文明一三年(一四八一)一一月二七日大内政弘は豊前国の所領の代りとして上静間右馬允先知行分の静間郷内三六貫文の地を吉川兼祐に宛行っている(「大内政弘下文案写」石見吉川家文書など)。静間郷は上静間と下静間に分れていたと推測される。永正一二年(一五一五)以前に上静間村三五貫文の地は本主上静間氏に与えられたため、吉川経典本領であることを根拠返還を訴えたが、当時本領愁訴は禁止されていたため実現しなかった(同年四月二六日「問田興之書状写」同文書)。そのため天文一〇年(一五四一)一二月五日、経典は上静間村三五貫文足は本主に与えられたので代所を要求するよう経冬に定め置いている(「吉川経典譲状并置文写」同文書)

静間郷
しずまごう

和名抄」所載の郷。諸本とも静間とするが、ともに訓を欠く。現大田市静間町を遺称地とする。現同市の静間町、大屋おおや町地区(大日本地名辞書)、または静間町・五十猛いそたけ町、大屋町地区に比定される(島根県史)。「延喜式」神名帳所載の静間神社の同名社がこの地区にある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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