青沢越街道
あおさわごえかいどう
江戸時代、観音寺村と新庄城下の間の出羽山地を川沿いに東西に横断し、飽海郡と最上郡を結んだ街道。延長約四六キロ。観音寺村から荒瀬川右岸沿いに遡上し、常禅寺村・大蕨村を通り、北青沢村枝郷小屋淵から大俣川に沿って上り、郡境の青沢峠(標高四五七メートル)を越える。さらに大沢川沿いに下って京塚村(現最上郡鮭川村)から滝倉村(現新庄市)を通り新庄城下に入った。宿は北青沢村枝郷小屋淵と観音寺村であった。古代の佐芸駅(現鮭川村真木に比定)と飽海駅(現平田町飛鳥に比定)の間は、最上川の舟運と陸路が併用されたとみられるが、陸路の場合は与蔵越と並んで当街道のルートも用いられたと推定されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報