霧山城跡(読み)きりやまじようあと

日本歴史地名大系 「霧山城跡」の解説

霧山城跡
きりやまじようあと

[現在地名]美杉村上多気・下多気

上多気かみたげ・下多気の西、標高六〇〇メートルの山上に築かれた北畠氏の本城で、興国三年(一三四二)北畠顕能築城と伝えられる。東麓の現北畠神社境内地が居館跡といわれ、神社の裏手より尾根伝いに山頂に達することができる。山頂の城跡は、尾根上を南北二郭に区画し、北側が一段と高く、南はやや広く三方を土塁で取囲み、そこより下る通路西側に竪の空堀があり、削平された尾根がつづく。東側の山頂部の一画には鐘撞堂があったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「霧山城跡」の解説

きりやまじょうあと【霧山城跡】


多気北畠氏城館跡(たげきたばたけしじょうかんあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報