霊仙寺(読み)れいせんじ

日本歴史地名大系 「霊仙寺」の解説

霊仙寺
れいせんじ

[現在地名]香々地町夷

東夷ひがしえびす地区のほぼ中央にある天台宗寺院。夷山と号し、古くは史料上夷または夷山とみえることが多い。本尊千手観音。六郷山寺院の末山本寺の一つで、中山寺の時期もあったか。養老期(七一七―七二四)仁聞の開基と伝える。長承四年(一一三五)三月二一日の夷住僧行源解状案(余瀬文書)に六郷御山夷石屋とみえるのが早い例で、夷の岩屋の開発をめぐって行源が当地住僧らに証判を請うている。行源が開拓し私領とした地は払と記され、夷の字名にも東南払つのんばらい行知払ぎようちばらい庵十払あんじゆうばらい蓑払みのばらいなどとして残っている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の霊仙寺の言及

【東脊振[村]】より

…九州横断自動車道の東脊振インターチェンジがある。村域北部の千石山(528m)南麓の坂本にあった霊仙(りようせん)寺付近は,1191年(建久2)宋から帰った栄西が日本最初の茶樹栽培をした地とされている。古くは脊振山山頂を上宮,霊仙寺を中宮,同じく坂本の修学院を下宮とする,〈脊振千坊〉と称される一大霊場の地であった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」