隼人城跡(読み)はやとじようあと

日本歴史地名大系 「隼人城跡」の解説

隼人城跡
はやとじようあと

[現在地名]国分市上小川

上小川かみこがわ北東部のしろ山にあり、国分城・国府こくふ新城清水きよみず新城ともいう。城山四囲は岩崖で、標高一九二メートルの山頂は平地をなす。北の谷を隔てて清水城がある。「三国名勝図会」には「隼人記に隼人城と記す。(中略)大隅隼人の故城趾なり」とみえ、当城跡を「八幡宇佐託宣集」にみえる隼人の諸城の一、曾於乃石城そおのいわき跡とする説もある。また「三国名勝図会」によると里人たちは城中長谷袋おさぶくろという所にある大きな洞穴は隼人の居所で、その後は曾君の州廨(国役所)になったと伝えていたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報