障子岳村(読み)しようじだけむら

日本歴史地名大系 「障子岳村」の解説

障子岳村
しようじだけむら

[現在地名]宇美町宇美

宇美川の上流域を占め、宇美村の東に位置する。東は北から南へ砥石といし(八二八メートル)三郡さんぐん(九三五・九メートル)を結ぶ線を穂波ほなみ郡との境とし、南は三郡山から南西方の宝満ほうまん(八二九メートル)に向かい、北西に転じる線をもって御笠みかさ郡との境とする。東は穂波内住ないじゆ(現筑穂町)、南は御笠郡北谷きただに(現太宰府市)、北は佐谷さたに(現須恵町)。宇美村の枝郷(元禄国絵図・天保郷帳など)。元和四年(一六一八)宇美村から分村したという(地理全誌)。元禄五年(一六九二)には高五一〇石余、うち畠高四二石余(田圃志)。石高書上帳案の郡帳高も同じ。寛政五年(一七九三)の成立と推定される表粕屋郡明細帳では家数八五・人数五〇九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android