随願寺(読み)ずいがんじ

日本歴史地名大系 「随願寺」の解説

随願寺
ずいがんじ

[現在地名]姫路市白国

増位ますい山の北西中腹にある天台宗寺院。西方山道広峯ひろみね神社へ続く。増位山と号し、本尊薬師如来。「峯相記」などによると、増位山はもと白国しらくに山といったが、元徳元年(一三二九)旧地の洪水被災によって増位寺が移転してきたため改称、当寺と円教えんぎよう寺、八葉はちよう(現香寺町)神積じんしやく(現福崎町)一乗いちじよう寺・普光ふこう(現加西市)を播磨天台六ヵ寺(播磨六ヵ山)といい、朝廷・幕府の御願所で、国衙の最勝王経講讃・仁王会などが勤修されたという。同書をはじめとする史料では増位寺・増位山と記されることが多い。

〔草創から鎌倉期〕

乾元元年(一三〇二)一一月の撰述という播州増位山随願寺集記(随願寺蔵)によれば、仏舎利飛来の霊山(場所は不詳)厩戸皇子(聖徳太子)が堂宇を建立、高麗僧慧便が止住し、天平年中(七二九―七四九)行基が諸堂を建立したという。もとは法相宗であったが、天長一〇年(八三三)仁明天皇の勅を受け王法繁栄・国家豊饒を祈る最勝会・吉祥天法が天台宗の僧によって行われ、天台宗に転じた。この時、法華三昧堂・常行三昧堂・食堂などを建立、金堂講堂などが修造され、伊勢・山王・白山など七神三〇社が勧請された。嘉承二年(八四九)毘沙門天堂が造営され、延暦寺の円仁によって供養が行われ、随願寺の寺号額と莇野あぞの(現夢前町)大野おおの郷・国衙こくが庄を寄進された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報