阿見村(読み)あみむら

日本歴史地名大系 「阿見村」の解説

阿見村
あみむら

[現在地名]阿見町阿見

現阿見町の北西端に位置し、北は青宿あおやど村。「和名抄」記載の阿祢郷の遺称地とされ、安見とも記す。元徳三年(一三三一)五月二七日の関東裁許状(東寺百合文書)

<資料は省略されています>

とあり、地頭駿河式部大夫高長の信太しだ庄内大岩田おおいわた(現土浦市)・安見郷の年貢代銭元徳元年分一三貫三七文の対捍信太庄雑掌定祐が訴え、幕府は未進分の納入を命じている。字立野越たてのこし真木後まきうしろ岡崎おかざき中世の館跡があり、真木後の館跡は小田氏の家臣羽成監物の居館と伝える。また天正期(一五七三―九二)の地頭は土岐五郎であった(「御めやすの事」湯原家文書)

天正一八年に蘆名盛重の領地となったが、慶長期(一五九六―一六一五)旗本の久永・倉橋両氏の知行地となり(御めやすの事)、その後倉橋氏領は丹羽氏と土浦藩主朽木氏が領するようになった(寛文朱印留)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android