日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿漕(能)」の意味・わかりやすい解説
阿漕(能)
あこぎ
能の曲目。四番目物。五流現行曲。伊勢(いせ)に非業の死を遂げたわが子を悼む世阿弥(ぜあみ)の作ともいうが未詳。伊勢参宮の男(ワキ。旅僧にする場合もある)が阿漕の浦につくと、老漁夫(前シテ)が現れ、大神宮の禁断の海に網を入れて捕らえられ殺された男、阿漕の名にちなんだ浦であると語り、わが身の上と明かし疾風(はやて)吹く暗い海に消えていく。後シテは阿漕の亡霊。執心の海に網を置き、魚を追う演技は、この曲の特色。魚を引き上げる網はそのまま地獄の猛火となり、魚は悪魚毒蛇となって亡者を責めさいなむ。鳥をとった同じ殺生の罪のテーマの『善知鳥(うとう)』の鋭い悽惨(せいさん)な表現に対し、『阿漕』は暗い海の鈍い強さで、人間が生きるために犯さねばならぬ罪業の姿を描いている。典拠は『古今和歌六帖(ろくじょう)』の「逢(あ)ふことをあこぎが島にひく網のたび重ならば人も知りなむ」。この西行(さいぎょう)の忍び妻の歌の伝説が、陰惨で不気味な能にわずかな彩りを添えている。
[増田正造]
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