阿久和村(読み)あくわむら

日本歴史地名大系 「阿久和村」の解説

阿久和村
あくわむら

[現在地名]瀬谷区阿久和町・三ッ境みつきよう戸塚とつか新橋しんばし町・弥生台やよいだい

東は岡津おかづ村、南は中田なかだ村、西は和泉いずみ(以上現戸塚区)宮沢みやざわ村・瀬谷野せやの新田、北は三経みつきよう新田に接する。中央にさかき山があり、北から南に阿久和川が流れ、西方平地が開ける。南北に八王子道(現県道瀬谷―柏尾線)が通る。

宝徳二年(一四五〇)九月二一日の関東公方足利成氏御教書(県史三)によれば、鶴岡八幡宮御供料所のうちで徳政令によって返付を命じられたもののなかに「阿久和郷内水田」とあって、当時は落合式部入道の買得地であった。小田原衆所領役帳には増田「拾六貫 東郡阿久和」とある。

近世は旗本安藤領。天正一九年(一五九一)五月の安藤正次への知行宛行状(県史八)には「三百八拾一石四斗 安久和之郷」とあり、寛永二年(一六二五)七月の安藤正珍への知行宛行状(同書)には「四百拾九石四斗 東郡阿久和村」とある。

阿久和村
あくわむら

[現在地名]戸塚新橋しんばし町・弥生台やよいだい瀬谷せや区阿久和町・三ッ境みつきよう

阿久和村(瀬谷区)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報