関宿河岸(読み)せきやどがし

日本歴史地名大系 「関宿河岸」の解説

関宿河岸
せきやどがし

[現在地名]関宿町江戸町、埼玉県幸手市西関宿など

関宿城下に設けられた江戸川の河岸。当地は古くから水陸交通の結節点として重要な地であり、元和二年(一六一六)幕府利根川・江戸川筋一六の定船場の一とし、定船場以外での旅行者の往来を禁じ、女人・手負者や不審者の取締を図っている(御触書寛保集成)。この頃すでに当地は渡船場ばかりではなく、河岸場としても機能していたと考えられ、万治三年(一六六〇)幕府は関宿川筋に対して関所改の混雑緩和のため無用の船を繋留しないよう指示し、艀船賃(浅瀬により大船は通行困難)を高くふっかけることを禁じている。なお当時遊女が置かれていたことが知られる(武家厳制録)。寛文五年(一六六五)関宿城主板倉重常は居城の外郭江戸町を掘削してさかさ川を作り、城の防衛を厳にするとともに、利根川と権現堂ごんげんどう川・江戸川とを合流させ、江戸への通船の便を開いた。この掘削により河岸場のあった江戸町の一部が逆川の西側に飛地となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報