関口柔心(読み)せきぐち・じゅうしん

朝日日本歴史人物事典 「関口柔心」の解説

関口柔心

没年:寛文10.3.7(1670.4.26)
生年:慶長2(1597)
江戸前期の柔術家。関口流開祖通称は弥六右衛門,諱を氏心といい,柔心は号。岡崎城主松平信康に仕えた関口氏幸の子として,三河国(愛知県)に生まれる。林崎甚助から居合を学び,三浦与次右衛門に組打の術を教わり,のち中国の拳法をとり入れて関口流を創始した。はじめは大和国郡山に住したが,寛永16(1639)年から紀州(和歌山)藩主徳川頼宣に仕えた。無学であったために己の術をどう称してよいかわからず,頼宣によって儒者たちが集められ,論議の末に“柔”の名がついたと伝えられる。同流はのち渋川伴五郎らを輩出し,江戸時代における一大勢力となった。<参考文献>日夏繁高『本朝武芸小伝』(新編武術叢書)

(加来耕三)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「関口柔心」の意味・わかりやすい解説

関口柔心
せきぐちじゅうしん
(1598―1670)

近世初期の柔術家、関口新心(しんしん)流の祖。家譜によれば、生国駿河(するが)、通称弥六右衛門(やろくえもん)、名は氏心(うじむね)、隠居して柔心と号す。父はもと今川の家臣、関口外記(げき)氏幸(うじゆき)。若年のころより刀槍(とうそう)の術を好んだ。諸国を歴遊し、長崎に至り、中国の拳法(けんぽう)・捕縛(ほばく)の術を学び、受身の術をくふうして名人といわれた。のち紀州藩に召し出され柔術および居合の一流をたて殷の湯王(とうおう)の湯盤(とうばん)の銘にいう日々新の語をとり新心流と称した。

[渡邉一郎]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関口柔心」の解説

関口柔心 せきぐち-じゅうしん

関口氏心(せきぐち-うじむね)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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