長島有里枝(読み)ながしまゆりえ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「長島有里枝」の意味・わかりやすい解説

長島有里枝
ながしまゆりえ
(1973― )

写真家。東京都生まれ。1993年(平成5)、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科に在学中に、家族と一緒に撮影したセルフ・ヌード作品が、パルコが主催するUrbanart#2展でパルコ賞を受賞し、センセーショナルなデビューを飾る。95年同大学卒業後渡米し、カリフォルニア・インスティテュート・オブ・アーツで写真を本格的に学ぶ。99年に同校を卒業して帰国以後、雑誌等に作品を発表するとともに、内外の展覧会にも積極的に出品し、70年代生まれで90年代から活動しはじめた女性写真家の代表格として活躍している。

 最初写真集は95年の『長島有里枝写真集』だが、このセルフ・ヌード中心の写真集は、身近な出来事をいきいきと記録していく若い女性写真家たちによる折からの「女の子写真家」のブームにのって、やや興味本位に受け取られたところがあった。長島の本領が発揮されてくるのは、2冊目の写真集『empty white room』(1995)においてである。大学時代の友人たちのポートレートで構成されたこの写真集には、高度に発達した資本主義社会を軽やかに、だがどこかきついプレッシャーをその身ぶり表情に刻みつけながら生き延びようとしている若者たちの姿が、等身大のイメージとして定着されていた。

 95年、長島はアメリカの女性アーティスト、キャサリン・オピーCatherine Opie(1961― )との二人展「家族」(パルコギャラリー、東京)を開催する。この時展示されたのは、彼女の母親父親、弟との4人家族の日々の暮らしの断片的なイメージであり、ここにも実に率直に、家族との微妙な距離感、感情の歪みなどが吐露されていた。この時点で長島は、自分とその周囲の人間関係を窓として、現実の微妙な起伏をリアルに把握していくプライベート・ドキュメンタリーの方法論を身につけていたといえる。『家族』は、98年に写真集としても刊行されている。

 95年から4年あまりの滞米生活を経て帰国後、長島の写真にはより伸びやかさと深みが加わった。2000年にはギャラリーSCAI(東京)で個展「PASTIME PARADISE」を開催するとともに、同名の写真集を刊行し、翌年同作でHIROMIX(1976― )、蜷川実花(にながわみか)(1972― )とともに木村伊兵衛写真賞を受賞する。この間1999年結婚、2002年出産という実生活での大きな出来事も経験し、さらなる飛躍が期待されている。

[飯沢耕太郎]

『『長島有里枝写真集』(1995・風雅書房)』『『empty white room』(1995・リトル・モア)』『『家族』(1998・光琳社出版)』『『PASTIME PARADISE』(2000・マドラ出版)』『後藤繁雄著『東京広告写真』(1994・リトル・モア)』『飯沢耕太郎著『東京写真』(1995・INAX出版)』『飯沢耕太郎編著『シャッター・アンド・ラヴ』(1996・インファス)』

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